これから心理系大学院受験勉強を始める時に英語が苦手な方はまずは文法を勉強しましょう
よく大学受験の中で悪しき事例として挙げられるのが、いわゆる受験英語です。
個人的には、受験英語は必ずしも悪いとは思っていません。
一定の意味があると考えています。
かなり前のことですが、とあるカナダ人に、お互いの母国語を教え合うという条件で、
私は日本語を教えました。彼は日本語検定を受けるというのですが、その問題が、
私たちが受ける受験英語とさほど変わらないというのか、どちらかというと、
私の目から見て、「これ何の意味があるの?」と言いたくなるような問題が
大半だった記憶があります。
(随分前のことですので、今は異なるのかもしれませんが)
その時に、外国人が、他国の言葉を勉強するというのは、こんなものなのかな、
と思ったことは鮮明に覚えています。
しかし、その日本語検定に何か意味があるのかと問うことは、車の教習所で、
例えばバックをするときに
「ポールの●本目が見えたら、ハンドルを切って!」
と指示されて、言う通りにすることに、意味を考えるようなものです。
教習所で習ったことは、あくまで教習所を出るためのものであって、
(つまり、修了検定や卒業検定に合格すること)
実際の現場でそのまま役にたつものではありません。
(そんなに都合良くポールはありませんから)
だからといって、
「教習所なんて意味がないから、行っても無駄」
とは誰も言いませんし、そう考える人は少ないと思います。
いわゆる受験英語もこういった類のものだと、私は解釈してきました。
社会に出て英語をどう活かすかはその人の自由です。
車の免許だけとって、ペーパードライバーになる人はたくさんいます。
別にそれを誰かから非難されることは、あまりありません。
受験英語教育に問題があるとするならば、それは、大学受験の価値を
人生の最上位に置かせることにあります。
大学合格をゴールと考える人と、スタートと考える人とでは、英語に限らず
その後の差は大きいのです。大学以降の教育を考えたときに、一度、
大学受験までの価値基準をリセットする教育をする必要があるのでは
ないかと私としては考えています。
そう考えると、受験英語も必ずしも悪いわけではないと思います。
車の教習所で習ったことは、車を運転する間、常に基礎として頭に残っています。
受験英語も同じ事で、その後の人生で英語を使うことがあるならば、その人は
受験英語を基礎に考えるでしょうし、それで十分役に立つと思います。
受験英語だけで、英語生活ができるわけではないのは、車の教習所を出て
すぐにレース場に行くと、あまりにも危険だということに似ています。
たゆまぬ研鑽、訓練、慣れ、生活習慣になると、自然と自分なりの英語が
身についてきます。それを誰かの英語技術と比べることはナンセンスです。
車の運転技術を他人と比べてもあまり意味がないのと同じです。
現実問題として、他人の運転技術など、ほとんどの人が参考にしていないのでは
ないかと思います。自分の感覚で身につけていった人が大半のはずです。
他人(特に助手席同乗者)から、口を出されると、
「黙っといて!」と逆ギレされる光景はむしろ一般的です。
自分なりを身につけつつ、外に出て、何とかやっていけるくらいを目指すのが
ちょうど良いと言えます。そこから、さらにグレードを上げて、レーサーになるかの如く
素人離れした英語境地を目指すかどうかは、その人次第です。
受験英語には、車の教習所と同様に、意味があるのです。
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