日本の大学の来し方行く末
産経新聞の報道で東大が軍事研究を解禁したという報道が
駆け巡りました。私もちょっと驚きました。
とりわけ東大のような日本を代表する大学が、
とくり理系で軍事研究が解禁されるというのは、
他国から見れば国策と受け取られるでしょう。
何でわざわざ東大がそんな方向にかじを切ったのか
強く疑問に思っていました。
私はあまり見ていませんが、おそらくネット上でも
騒ぎになっていたのではないかと思います。
(私も同業者からこの一報を聞きました)
そうこうしていうるうちに東大総長名で
東京大学における軍事研究の禁止について という発表がでました。
題名からすると、ああ誤報だったのか、とちょっと安心したのですが、
しかし、よく考えると、こんな長い文章ではなく、
「そんな事実はありません」
だけ言えば済むことです。何かきな臭さを感じつつ読んでみました。
学術における軍事研究の禁止は、政府見解にも示されているような
第二次世界大戦の惨禍への反省を踏まえて、
東京大学の評議会での総長発言を通じて引き継がれてきた、
東京大学の教育研究のもっとも重要な基本原則の一つである。
最初はこの部分だけ読んで、そりゃそうだと思いました。
この原理は、「世界の公共性に奉仕する大学」たらんことを目指す
東京大学憲章によっても裏打ちされている。
日本国民の安心と安全に、東京大学も大きな責任を持つことは言うまでもない。
ここでちょっと「ん?」と感じました。
そして、その責任は、何よりも、世界の知との自由闊達な交流を通じた
学術の発展によってこそ達成しうるものである。軍事研究がそうした開かれた
自由な知の交流の障害となることは回避されるべきである。
ここでもう一回「ん??」となりました。
もしかして、深くも恐ろしい文章なのでは?
一言で、こんなになんとでも理解できる文章を書くのは至難です。
東大総長ともなると、瞬発でこんな文章が書けるのか、
それとも、ずいぶん前から用意していたのか。
いずれにしてもきな臭さ満載です。
軍事研究の意味合いは曖昧であり、防御目的であれば
許容されるべきであるという考え方や、攻撃目的と防御目的との区別は
困難であるとの考え方もありうる。また、過去の評議会での議論でも出されているように、
学問研究はその扱い方によって平和目的にも軍事目的にも利用される可能性
(両義性:デュアル・ユース)が、本質的に存在する。
実際に、現代において、東京大学での研究成果について、
デュアル・ユースの可能性は高まっていると考えられる。
どうやらこのデュアル・ユースこそがこの文章の骨格のようです。
このような状況を考慮すれば、東京大学における軍事研究の禁止の原則について
一般的に論じるだけでなく、
誰が論じるのでしょうか?主語がありません。
世界の知との自由闊達な交流こそがもっとも国民の安心と安全に寄与しうるという
基本認識を前提とし、
私はこの部分に最大級の脅威を感じました。
世界の知と自由闊達な交流が何を指すのかによって、その意味は何とでも変わります。
あらゆる可能性を排除しないように読めてしまうのですが・・・
そのために研究成果の公開性が大学の学術の根幹をなすことを
踏まえつつ、具体的な個々の場面での適切なデュアル・ユースのあり方を
丁寧に議論し対応していくことが必要であると考える。
結局、軍事研究を禁止したり、否定したというよりは、
デュアルユースのあり方を議論すると宣言しただけのように読めてしまいます。
もちろん、この文章が生み出された背景には海より深いわけがあると
信じていますが、何やら嫌な予兆のように思えてなりません。
ただ、否定だけしてほしかったというのが正直なところです。
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