願書用の写真はどんなものでもいいですか?
10月4日から龍谷ミュージアムで特別展「二楽荘と大谷探検隊」が開幕します。
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10月4日と5日の先着100名様には記念品を進呈されるそうです。
大谷探検隊とは、西本願寺第22世門主大谷光瑞師が
第1次(1902年〜04年)、第2次(1908年〜09年)、第3次(1910年〜14年)の3回、
中央アジアに派遣した探検隊を指します。
探検隊というと、つい私は川口浩探検隊をイメージしてしまいますが
(古いでしょうか)
当時はいわゆる帝国主義全盛期の時代で、探検隊とは時代の最先端でした。
通常はヨーロッパ列強たち軍事強国が、その国家経営のために、あるいは国威発揚のために、
アジアを目指した時代でした。
この国は、明治という動乱期で、国家予算などほとんどなかったため、
そんな大それたものを出す余裕はなかったと考えられます。そのため、光瑞師は
本願寺の財政で探検隊を派遣しました。
当時の世界の探検隊は、例えばオーレル・スタイン(イギリス)
コズロフ(ロシア)、楼蘭を発見したスヴェン・ヘディン (スウェーデン)、
ル・コック(ドイツ)、天才・ポール・ペリオ(フランス)は敦煌文書を解読できたことで有名です。
こういった国家に選ばれた精鋭学者が、探検隊として中央アジアを目指して、
仏教やその他アジアの文物を「宝」と見なして、自国に持って帰りました。
大谷探検隊は国家プロジェクトではなかったのですが、この中に並び称される探検隊です。
しかも時代は悪名高き廃仏毀釈で、仏教苦難の時代です。余程の決意がなければ
こんなことはなし得なかったと思います。
1908年に光瑞師は神戸の六甲山に二楽荘という別邸を建設します。
ここにはインド室やエジプト室、イギリス室など世界各地の風俗を具現化した数多くの
部屋がありました。絢爛豪華というにふさわしいものだったそうですが、数年しか機能しませんでした。
そのせいか、二楽荘については知られていないことが多く、謎も多いのです。
今回の特別展では、ホームページによりますと、
武庫仏教中学や私設の気象観測所が設けられ、マスクメロンの
栽培も行われていました。
さらに、インド・中央アジア等への仏蹟調査(大谷探検隊)の資料は、
隊員たちの手で整理・研究され、公開もされていました。まさに二楽荘は、
博物館機能を兼ね備えた総合学術研究センターでした。
私は、元兵庫県民ですので、芦屋あたりには、昔はよく遊びにいっていましたし、
また、本願寺派の檀家の家系に生まれながら、恥ずかしながら、二楽荘は名前しか
知りませんでした。数年前にも、芦屋で二楽荘の展示がありましたが、
おそらく今は、日本でも龍谷ミュージアムしか、この展示はできないと思います。
是非、一度足を運んでみてください。
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