いわゆるポスドク問題
いわゆるSTAP問題の当事者小保方氏の博士号取り消し問題で
早稲田大学が、「本来、博士号を出す物ではないが、取り消さない」
という結論を下したことで、研究者間で衝撃が走りました。
早稲田大学によれば、早稲田大学が学位を出すことは重いことであるから
取り消すことは容易ではない。故に学位認定するものは自覚するようにとのことです。
いずれにしても、これによって、早稲田大学のブランド力は低下することは間違いないでしょう。
現在の大学の力量は、実は大学院で決まります。予備校が決めた偏差値で
決まっているわけではありません。研究者および、研究論文の質、量は
大学院生以上の人が担っているのです。だからこそ、大学院拡充政策をとり、
大学院を充実させることが、大学の生き残りには重要な課題となっているのです。
そのため、大学が出す最高学位の博士号の品質を保つことは、大学の命とも言えるのです。
一人の人間の博士号を取り消すか、否かがこれだけ話題になるという面を見ても、
それだけ学位というものは大学にとっても、世間一般にとっても重いということです。
普段は博士号に全く関心がない人でも、
「こんな人間が博士号を持っているなんてけしからん!」
と考えさせるだけの重みがあるということなのです。
早稲田大学の重みのとらえ方に違和感があります。
大学の名前によって、その重さが異なることは通常はありませんが、それでも早稲田大学は、
関東私学の名門であることは誰も異を唱えないでしょう。
早稲田の学士号(学部卒業資格)が欲しくて、毎年数万人が早稲田を受験するわけです。
そして、学士を取った後、大学院に進めば、修士号を取得し、その上が博士号です。
だいたい30歳前後でやっと取れる資格です。博士号は、近年では教育研究職の免許証
といった位置づけです。その免許証を取るために、人生でもかなり重要な20代という時間と、
学費を投資するわけです。やはり、少しでも信のおける大学院に投資したいというのが
多くの人の考えではないかと思います。
博士号は、教育研究職の免許証であるとは言いましたが、実は、その使い方は
あまり明確ではありません。とりたてて、免許証を提示しろと言われることも
ほとんどありません。また、積極的に使う場面もほとんどありません。
だから、ほとんどどんな文面であったか、いつ取ったかなど数年たてば忘れてしまうような
類のものです(私だけかもしれませんが)。私も、引っ越しをして以来、消息不明になっており、
今すぐ出せと言われたら困るので、先日発掘しました。相変わらず、紙一枚でした。
私個人の提案なのですが、博士号取得者は、国でも、発行大学でも良いのですが、
IDカードでも発行したらいかがなものでしょうか?それだけでも博士号の価値は
目に見えて高まるのではないかと思います。
しかし、私はこの仕事をするに当たり、博士号を取得したことを誇りとしていますし、
開業の根拠の一つにしています。実際は、開業後1年くらいで論文を提出しましたが。
(あの時は大変でしたの苦労話はまたいつか)
だから、思うに、博士号は、自分の願いもこめて、それなりに重いものでなければ
なりません。多くの人が、人生と金をかけて、挑むものです。
借金もハンパな金額ではありません。その金額に絶望してしまう人もいるくらいです。
無数の博士号取得者のその思い(怨念?)が、今の大学の価値を作ったのだと
考えれば、もう少し別の対応があったのではないかなぁと思いました。
最後に博士号取得に関して前向きに書かれた記述を
参照いただければと思います。これからも出るであろう多くの博士を目指す人を
前向きにさせてくれるのではないかと思います。
いつも言っていますが、私の持論は、大学院に行くのが当たり前にすべきということです。
大学院には、まだまだそれだけの価値があると考えています。本件でもって、当然、
すべての博士が否定されるわけではありません。この国には素晴らしい若手研究者は
たくさんいます。彼らがもっと希望を持てる環境になることを願っています。
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