大阪都構想の住民投票率が66.83%だった事について、そこから見えて来る人間心理
性別は男女のみ認め
トランスジェンダーの選手を女子競技に参加させない
認めないと米大統領の発表を受け
世界陸連の会長もそれを支持する方針のコメントをしたとのことです。
米大統領についてはもちろんですが
世界陸連である会長ですらもそういった方針を支持するとのことで
このような世界を代表するトップクラスの人たちが
こうも簡単に言い放っているということに(しかも実力行使に出ている)
情けないと言うか恥ずかしさを感じるとともに、非常に残念でなりません。
トランスジェンダーだから何なのでしょうか?
競技は男性か女性のみのものなのでしょうか?
競技とは一体何なのでしょうね?
体格的に違うから?体力や筋力の差?
身体能力の差?
年齢性別によって分け隔てなければならないもの?
もちろん人種の違いによるものも。
ジェンダー格差の問題など様々あると思いますが
私は基本的に老若男女分け隔てなく
個人の能力単位で競技を扱ったら良いと思うんですね。
男子の部とか女子の部とかあるのも
今になってはおかしな制度だなと思う次第なのです。
そういう意味では小学生・中学生・高校生
そして社会人の部などグループ分けされているのも不思議な感じで
確かに明らかな身体能力やスキルの差は見て取れたり
そもそもはじめから競技にならないといった話もありますが
このようにある程度の力量の差?の考慮はあったとしても
男女といった性差で区別してしまうのはいかがなものでしょうか。
私は能力があるなら男女に限定せず
むしろ男女混合として一つの競技を捉えたら良いと思うんですね。
(すべての種目で)
そうしたらトランスジェンダーなど性別の壁?の問題など
簡単に解消できるのではないでしょうか?
(しかし実際実現していくには困難ですけども)
確かに考えとしては
女性に限られた競技の中にそれこそ男性が交じって競技をしていたら
さすがに誰でも違和が生じると思いますが
はじめから性差の壁を取り払った規範の中での競技なら
誰も違和を唱えないのではないでしょうか?
男性でなければならない
女性でなければならないといった意識が
このような不自然を招いてしまうわけです。
別に誰と誰が競技を競っても良いのではないでしょうか?
男女といった垣根を超えて、個人の能力で競い合ってはどうですか?
男性は女性に負けるのが怖い?不安?それとも惨めだから嫌なの?
お互い全力を尽くして負けたのであれば仕方ないじゃないでしょうか。
勝ち負けに固執するのではなく
相手の能力の凄さを認め、お互いの健闘を称えるだけだと思うんですね。
ましてやそこにトランスジェンダーかどうかなど問題ではありません。
あくまで競技者たちの能力やフェアプレーを楽しむもの。
それで良いのではないでしょうか。
中には競技に熱狂したいがために違和は認めないといった人もいるかもしれませんが
これはこうあるべき、その中で競う合うべきといった自分の正義が考え方を盲目にし
人を排他的にしてしまうのかもしれませんね。
考え方を改められるかどうか
別に大掛かりに大改革を成せとは言いませんが
今回の独善的な意思表明についてはさすがに異論を唱えないわけにはいきません。