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宮本章太郎

心理カウンセリングのプロ

宮本章太郎(みやもとしょうたろう)

京都カウンセリングラウンジ

コラム

時間とはいかに無意味なものか

生き方を学ぶ

2018年3月4日

阿頼耶識(あらやしき)というと大そうに聞こえるかもしれませんが
私みたいに下手に達観してしまうと
世の中、あらゆることがつまらなくなってしまいます。

つまらないと言っても面白くないわけではなく、良い意味で関心がなくなるといいますか
俗世間とは違う世界の感覚を得ると言いましょうか
いわるゆる死に向けた準備、死を受け入れられる状態になります。
(感覚的に時間、時空を超越した状態)

ですから世の中で起こっている出来事や苦しみなどにも関心がなくなりますし
自分は自分だけの世界、自分が生きてる世界だけを生きられるようになり
人の言動などをいちいち気にして他を批判することもなくなります。

この状態になるためには経験や知識はもちろん
感覚を研ぎ澄ます、心を磨きに磨き上げる、心の鍛錬が必要不可欠です。

つまり若い時(生まれて間もないような時)はなかなかこの状態に達することは出来ませんし
若いときのようにあまりに生に執着したままだと死が怖く
受け入れることが出来ないのはこのためなんですね。

よく歳を重ねると死が怖くなくなると言われますが
それは段々生きるための感覚がなくなってくるから。(衰えてくる、良い意味で正常に機能しなくなる)

身体的な衰えはもちろん、耳が聞こえなくなったり目が見えにくくなったり
認知機能が失われていくのでも
全ては死に向けた準備として自然の摂理がそうさせてるわけです。

でなければ感覚が死ぬ直前までいつまでも鋭かってみてください。
たとえば過剰なくらい痛覚が敏感なままであれば
その痛みや苦しみはとても耐えられるものではないでしょう。

苦しみ悶え、壮絶な死を遂げるに違いありません。

ですけども何やよくわからない感覚の中で死を迎えても
それほど死の苦痛も感じないのではないでしょうか?
(たとえば自分が死んでるのか生きてるのかわからない、寝ぼけたような状態の中での死)

生死の話ばかりしてきましたが
私が言いたいのは達観してしまうと死すら関心がなくなる。
生への執着(関心)もなくなるということなんですね。

これは決して悪い意味ではありません。

この感覚に達してない人はいくら言われてもわからないかもしれませんが
誰も死にたいと思ってるわけでもなければ死を望んでるわけでもなく
ただ執着がなくなるということなんです。
つまり生きてるという、人生という時間をも超越するということなんですね。

今生きてるという人生(時間)を通り越してその先まで生きる感覚。
肉体は滅びてもまだ先まで魂が続いていることがわかるのです。
だから死が怖くなくなる。

出来るならこのままずっと生きていたい。
死にたくなんてない。
私もかつてはそうでしたし、正直今でもその気持ちは変わりません。
死にたくない、ずっと生きていたいです。

しかし著書でも書いてますように
時間の本質、宇宙の性質を悟った瞬間、その考えは吹き飛びました。
死にたくはないですけど死は怖いものではなくなりました。

いつ果てても良いとまでは言いませんけど
達観する(阿頼耶識に目覚める)とはそれくらい、強烈な悟りの感覚を得られるんですね。

何だか宗教的な話をしてるように聞こえるかもしれませんがそうではありません。
生死の話をするとどうしても宗教的に聞こえてしまうものです。
(用語を用いてることもあると思いますが)

話が長くなりました。

ただ達観してしまうと、そんな人生の時間まで超越した感覚に達するというお話でした。

しかし私のように下手に達観してしまうと
それはそれで中途半端に苦しみを伴ったまま、ただ何にでも無関心になるだけなので
良いのか悪いのか、それはこれから心の鍛錬によって、己の魂を磨き上げていくしかありません。

“心理学でエンターテイメントを提供する”
京都カウンセリングラウンジ
宮本 章太郎



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