原発事故が起きた際の避難計画に対する矛盾点 ~人ではなく自分を見れば問題の矛盾にも気づく~
近年は車による暴走事故が増えてますが、てんかんの発作など病気が要因の事故でなければ
高齢者のアクセルとブレーキの踏み間違いだと判断力の低下や認知症の可能性。
あるいは禁止・危険薬物を使用しての運転や飲酒運転ならドライバー自身の運転技術への過信や認識の甘さ。
そして若者の無免許危険運転であれば同じく過信と知識、経験不足の疑いがあります。
他にも事故になる要因として、走行車線や道路標識自体がわかりにくい場合もありますし
そうなるとドライバーは気をつけてても逆走したり信号無視など意図せず起きる事故もあります。
要因はともかく、もはや自動運転技術の義務付けを議論するべき時期なのかもしれません。
そもそも車の運転も物理学であり、物理法則に則って車が動いてるわけで
単にドライバーの運転技術や知識だけで車が動いてるわけではありません。
ですから自分の感覚だけで運転するのは非常に危険なのです。
例えばスピード感覚の話で言えば、歩行中や二輪車での運転とは全然感覚が違いますし
同じ走行スピードでも高速道路での80キロと一般道での80キロとは全然違うスピードに感じます。
物理学の話にしても、カーブを曲がるには速度と車両重量、そして重心(力点)がどこにあるかで
カーブを曲がりきれるかどうかも決まってきますし(数学や計算によって導き出せる)
何も考えず自分の感覚だけでこれくらい曲がれるだろうと猛スピードでカーブに差し掛かると
大した事のないように思うカーブでも曲がりきれず
横転事故や歩道(歩行者の列)に突っ込むなどの大惨事に繋がるのです。
車はハンドル操作だけで自分の思い通りに曲がってくれるのではありません。
事故は車の性能や運転技術、あるいはドライバーのコンディション(体調)のみならず
この感覚の違いから事故は生じやすくなります。
先ほどの高速道路と一般道でのスピード感覚の話ではないですが
自分の感覚では違っても、スピードメーター(計測器)は正常な値を示してくれるわけですから
ドライバーの感覚に頼らない運転技術である、人間の感覚をサポートしてくれる自動運転技術の導入は必須だと言えるでしょう。
もちろん人間の感覚が頼りになる場面もあるでしょうから
全てをコンピューターに頼ってしまうのではなく、人間の感覚とコンピューター(物理学や計算の部分)が
上手く折り合いを付けながら暴走事故のないよう、安全運転に取り組んでいきたいものです。