私の仕事史「マイ チャレジング デイズ」―バブルを横目に、かくもエキサイティングな日々―Ⅰ
今日の目次
・カミさんも自分も随分若かった
・1枚の家族写真
・遠くを見ているような瞳
・そんな未来を予感していたのかも
カミさんも自分も随分若かった
昔のアルバムを引っ張り出してめくってみると、一枚一枚の写真から、東京で暮らしていた頃の家族の様子がよみがえってきます。そんな写真の一枚から、私はふと汲み取ったことがありました。
そうやって、アルバムをめくっていると、当たり前の話ですが、カミさんも自分も随分若かったことに気がつきます。まあ私もこの年令になりましたので、遠慮なく言わしてもらってかまわないと思いますが、若い頃のカミさんはかなりの美人です。(もちろん今でも・・)
写真を見ていて、今さらながらそのことに驚かされます。
1枚の家族写真
そんな中に、1枚の家族写真がありました。私とカミさんと次女の3人が写っている一枚です。背景から察するに、葉山の御用邸に隣接する海浜公園に行ったとき、そこの芝生の上で撮ったもののようです。私とカミさんは同級生なので、ちょうど二人とも30代後半に差し掛かったくらいでしょうか。
私とカミさんが並んで座り、その前に幼い次女が寝そべって、破顔一笑、これ以上はない、といった笑顔で笑っています。ここに写っていないということは、これを撮ったのはおそらく長女だったのでしょう。
あのとき、長男はまだ生まれていなかったので、二人の娘たちと親子4人で出かけたときのものです。あの頃は、家族でよく出かけていました。子供が増えるにしたがって、「お出かけ」は準備や費用がそれなりに大変だったのですが、それでもしょっちゅうこうしてあちこちに出かけていました。
遠くを見ているような瞳
さて、この写真に写る若い頃のカミさんは、やはりなかなかの美人だと思います。そして、とても幸せそうな表情をしています。
もともと、ぱっちりと黒く澄んだ瞳のカミさんは、私に寄り添いにっこり微笑んでいて、このささやかな幸せに、ただただ浸り切っているように見えます。
と、確かにそう見えるものの、その瞳の奥に微かにではありますが、なにか儚さ、憂いのようなものを私は感じるのです。その目は、今の幸せに浸りながらも、なんだかもっと遠くを見ているようでもあります。
私だけが、なんともニヤけた締まりのない顔で写っています。若い頃の私の写真は、こんな締まらない表情のものが多いので嫌になります。
この写真のカミさんを見ていて、私はふと考えました。
「俺はこの女性を幸せにしてやれたのだろうか。この瞳が見据えていた未来に俺は応えることができたのだろうか・・・」と。
そんな未来を予感していたのかも
今振り返ってみれば、カミさんは自分のことは差し置いて、家族に対してひたすら献身的に尽くしてきました。それに比べて私の方は、そういった貢献がひどく足りなかったんじゃないか、という気がしているのです。あの微かな憂いのようなものは、そんな未来を予感していたのかも知れないな、と見ていて少し胸に痛いものを感じます。
この一人の女性をもっと幸せにするのが、俺の残された役割ではないのか、と、30年以上昔の1枚の写真を眺めながらふと思いました。
この写真です。



