え!シルバー民主主義だと?―熟年層よ、そんなこと言われているんだぜ!―
今日の目次
・指示通りに投票するという不思議
・業界で推す候補がいたとしても・・
・苦渋の選択、白票を投じることに・・
・私には「組織票」は存在しない
・高まる政治的関心、オールドメディアへの批判
・若い世代、さすがにこのままでは・・
指示通りに投票するという不思議
間もなく参議院議員選挙が行なわれます。私のもとにも、先日、投票用のはがきが届いていました。
私には選挙に際して、昔から不思議に思っていることがあります。それは「組織票」というものの存在です。大きな選挙が近づくと、必ず専門家による「票読み」が行なわれます。
そのとき、彼らから必ず出てくるセリフに「○○候補には、△△団体の組織票がついていますから・・・」といったものがあります。△△は団体だったり、業界だったり、大きな企業だったりと様々です。
とにかく、これらの組織はその構成人員のすべてが「組織票」としてカウントされます。選挙において、対抗する候補にとってこの「組織票」は、絶対に崩せない壁として存在するのです。
私が「不思議に思っていた。」というのは、「そんなことはないだろう。いくら上の命令と言っても、記名式の投票じゃあるまいし、自分の入れたい人に投票するんじゃないの。」ということではありません。逆にみんなが、その指示通りに投票するという事実なのです。そうでなければ「組織票」の票読みなんてできるはずがありません。私が不思議に思うのはそっちの方なのです。
業界で推す候補がいたとしても・・
ところで私は「税理士会」という業界団体に所属しています。強制加入ではありますが、企業とは違って、この組織から何かしらの定期的な報酬(給与)をもらっているわけではありません。組織と言っても、各個人は独立しているので、やや緩いタイプの組織形態です。
その税理士の世界も政治とは無関係ではありません。やはり、政界には業界の推す候補が存在していて、選挙に際しては推薦候補の名簿などが示されます。
別に利権構造のようなものはありませんが、我々の業界や職域を支持してくれる或いは理解の深い政党や政治家への投票が勧められるのです。傾向としては、やはり野党よりは与党寄りのスタンスを取る業界と言っていいでしょう。
つまり、業界そのものはかなり保守的な立場を取っているのです。私は、それはそれでいいと思っています。税法改定の必要性など、専門家としての意見があるときはその都度具申はしているので、常に革新的でなければならない、というポジションではないのです。
というわけで、基本、選挙に際しては、保守系候補が業界としての「組織票」の対象として推薦されることになります。ちょっと業界の話が長くなってしまいました。冒頭の「組織票」の話に戻りましょう。
苦渋の選択、白票を投じることに・・
さて、ここからは私個人の見解になるのですが、そうやって業界から所定の立候補者が推薦されたときに、その人物が、どうしても私の考えや主義に合わない場合があります。或いは人格的にとても評価できないような人もいたりします。
ただ単に、私の好き嫌いを前面に出すわけではありません。いろいろな角度から判断して評価できない、気に食わない人間は存在するのです。結果的に、私はその候補者に投票することはしません。
そのとき、仮に野党に私が共感し評価できるような人物がいたら、私はその人に投票するでしょう。どうしても、野党を含めて選びたいと思う人がいないときは、与党の気に食わない人物に入れることもしないわけですから白票を投じることになります。
基本、棄権をすることはしません。これが私の、選挙に対する自分なりの良心に従った行動ということになるのです。
私には「組織票」は存在しない
ということで、冒頭の話に戻れば、私にとって「組織票」というものは存在しないのです。自分や自分の所属する業界にとって有利に働く人物とわかっていても、総合的に判断して「この人間ではダメだ。」と私が判断したならば、その候補者に票を入れることはあり得ません。
反対に、業界とか地域にとって、やや不利な主張を持った人間でも、「この人物だったら、将来日本を良くしてくれる。」と判断したならば、それが仮に野党の候補者であってもその人に投票します。業界といった特定の組織に擦り寄ることはしないで、広く国益の方を選ぶつもりです。
「組織票」を投じる人は、そんな考え方はしないのでしょうか?いくら上から言われても、「こんな人には入れたくない。」と思うことはないのでしょうか?或いはそう思わなくても、「自分はこっちの人の方がいいと思う。」という別の候補者に投票することはないのでしょうか?
まあ、そういった投票行動をほとんどしないから「組織票」というものが成立するのでしょう。「そんなの当たり前!」と思っている人にとっては、何の不思議でもないのかも知れませんが、私には理解しがたいことの一つだったのです。
高まる政治的関心、オールドメディアへの批判
で、これからの日本社会を予測してみました。世の中、ちょっとずつ私の思っている方向に変わっていくのではないか、と思っています。今の若者世代が「組織票」をベースとした投票行動をするように、と言われてもそれに素直に従うとは思えないからです。
というのは、ネット等を通じることで情報の取得手法が昔とは随分変わってきたからにほかなりません。上から「この人ね。」と言われても、その人物についての情報は、いろいろな角度から取ることができます。「なんだこいつ!こんなことやっていたんだ!」とか「なんか随分偏った主義の持ち主みたいだな。」とかなったら、素直に投票する気にはなれないのではないでしょうか。
それから、上記の内容と通じるのですが、そうやって情報の取り方に長けてきた世代の政治への関心が、以前より大きくなっているような気がするのです。実際、これまでのマスメディア(最近「オールドメディア」と呼ばれている)の情報に踊らされなかった世代の投票によって、事前の予想が覆された選挙結果が出始めています。情報強者としての若い世代による投票行動は、おそらくこれまでとは違ったものになっていくと思います。
若い世代、さすがにこのままでは・・
といった傾向を受けて、これからは上意下達の「組織票」的な投票行動は下火になっていくんじゃないか、というのが私の未来に対する読みになります。情報強者である若い世代は、自分で情報を取り、長い将来のある自分たちに、より有利でちゃんとした政治的主張を持った政治家は誰だろう?といった判断をしていくのではないか、と思うのです。
いずれにしても、若い世代が政治に、中でもその入口としての「選挙」に興味を持つことは良いことです。これまでは、彼らの政治に対する姿勢があまりにも後ろ向きでした。それは「組織票」みたいな投票慣習が当たり前の世界では、自分たちの力では世の中変えられない、変わらない、と思っていたからでしょう。
しかし、さすがに「政治の世界に変わってもらわなければ、自分たちの未来はヤバいことになるぜ。」と本気で感じ始めたのではないでしょうか。今後は政治の世界に若者の関心が高くなり、これまでの社会環境がより好い方向へ変わっていくのではないか、というのが、私の希望的観測です。とはいえ、本当にそうなるかどうかは、まだなんとも未知数です。
ただ、「組織票」なんて馬鹿な投票慣習は早く止めにして、若い世代がきちんと情報を取り、個人としてしっかり判断し、政治を含む日本の社会をいい方向へ変えてくれることを願うばかりです。もちろん、責任ある上の世代として協力は惜しまないつもりです。
みんな、選挙に行こうね。(写真と本文内容とは特に関係ありません)



