10年後に無くなる職業Ⅰ
今日の目次
・何故?「オールドメディア」という言葉
・明らかにネットの影響力の方が・・
・劣化の進行が現実になってきた
・バイアスだらけのオールドメディア
・どうなんだ!?「報道しない自由」って
・そっちこそ反省しろ!という声多数
何故?「オールドメディア」という言葉
ご存じだとは思いますが「オールドメディア」という言葉が定着しつつあります。これって、ちょっと前までは使われなかった言葉ですよね。
オールドメディア・・・言うまでもなく、新聞やテレビなどこれまで世の中を席巻してきた大手メディアを指す言葉です。何故こんな言葉が出現してきたのでしょうか。
これらのマスメディアに対して、ほぼパーソナルでも発信できるネットの世界が、対等あるいはそれ以上の力をつけてきたからにほかなりません。個人レベルによるネット発信は、当たり前の話ですが「スモールメディア」ということになります。
こんなものがそんなに影響力を持つとは、当初誰も予想しなかったのではないでしょうか。とはいえ、ビジネスにおいては、随分以前からその力が発揮されていたのは周知のとおりです。いわゆる商売の世界では、ネットの持つ宣伝力、販売力はリアルビジネスを凌駕し、むしろ主流になりつつあります。
明らかにネットの影響力の方が・・
ただ、政治の世界では、まだ従来のマスメディア、つまりはオールドメディアの方に、その影響力の大きさについては分があったような気がします。どんなにネットの世界で評判になっていても、選挙結果のふたを開けてみたら、意外に騒がれていたほどには票に結びついていなかったからです。
これまでは、どんなにネットの世界で騒がれていても、いざ選挙になると、テレビや新聞の方がやはり強い影響力を発揮していました。しかし、これが先の東京都知事選あたりから潮目が変わってきたような気がします。明らかに、ネットの影響力が強く表面に現れるようになってきたからです。
都知事選のときには、SNS戦略を駆使した石丸候補というダークホースが、名の知れた野党女性候補を上回って2位に食い込みました。これは当初、予想されていなかったことでした。
そして、少し前のことになりますが、兵庫県知事選おいて衝撃的な結果が出ました。ゼロどころか、マイナスからのスターだった前知事が、旧来のメディアからの袋叩きにあいながらも、ネットによる情報発信等のバックアップで盛り返し、大逆転劇(再当選)を演じたのです。
兵庫県の騒ぎは、まだ尾を引いているようですが、とにかく県民の意思は、従来のメディア報道に組みしなかったことになります。この時点で、前知事のネガティブ情報を流し続けた旧マスメディアに対して「オールドメディア」という言葉が完全に定着したように私には思われました。
劣化の進行が現実になってきた
オールドメディア・・・この言葉は、新聞、テレビといった旧来のマスメディアを、やや揶揄するような決して肯定的ではない意味合いを含んでいます。いったい何故、こんな言葉が使われるようになったのでしょうか。
それは、従来のマスメディアに対して、その報道姿勢、取材能力、切り口の現代性などにおいて、大いなる疑問が提示され始めたからにほかなりません。私も日本のメディアは、あまりにも劣化したのではないかと思っています。
以前にも書いたことですが、私はもう随分以前に地上波テレビを観ることをやめてしまいました。家にテレビはありますが、地上波のチャンネルに合わせることはほぼなくなりました。それから数年後、新聞の購読もやめました。
現在、「オールドメディア」という単語で、従来のマスメディアが揶揄される何年も前の話です。そうしていたら、現実が今のような状況になってきたのです。
バイアスだらけのオールドメディア
「オールドメディア」という言葉には、もう終わってしまった存在、といったニュアンスが含まれている気がします。テレビや新聞などの旧メディアは、これまでの路線をよほど軌道修正しなければ、今後大衆の支持、特に若い層の支持は得られないでしょう。
テレビや新聞からしか情報を得ていない高齢者層には、既に「情弱」(情報弱者)とのレッテルを貼られています。「それじゃあ、ネットから情報を得ていればいいのかよ。」との声もあるでしょうが、そうではありません。
新聞の社会面で掲載される類(たぐい)のニュース、災害や事故、殺人など各種事件といったものに関する情報は、ネットでもマスメディアでも共通に取ることができます。ここに大した差はないと思います。
問題なのは、保守リベラルといった政治的側面を持った情報、薬害公害など社会的側面を持った情報、それに国際情報ということになります。これらの情報に対して、旧メディア側の思惑によるバイアスがかけられたときに、どうにもおかしなことが起きるのです。
どうなんだ!?「報道しない自由」って
政治的社会的ニュースには、そのメディアのスタンスによって、明らかに強いバイアスがかかっています。自社に都合の悪い情報、或いはイデオロギー的立場を異にする情報は、メディア側の取捨選択が行なわれ、正確なところが伝わってきません。ここでは、「報道しない自由」が強力に働くからです。
同様のことは、国際情報においても顕著ではないでしょうか。私の感覚では、「報道しない自由」の典型的な例として、韓国や中国の現状が必ずしも正確に伝わっていない気がします。
そもそも、旧メディアの方は既に観ても読んでもいない身ではあります。なので、正確なところは何とも言えませんが、この両国に対してはかなり忖度した報道が行なわれているのではないでしょうか。
そっちこそ反省しろ!という声多数
確かにネットの世界は玉石混合です。ひどいフェイク情報はマスメディア以上であることは間違いありません。しかし、ちゃんと選べば質の高い情報を取ることはできます。要は、そういった情報を取捨選択できるのかといったこちら側の力量や姿勢の問題なのです。
オールドメディアでは、SNSなどネットメディアのネガティブな側面を盛んに喧伝しているようですが、その前に「自分たちこそ反省したらどうだ!」というのが多くの人々の声です。オールドメディア側は、そこに思いは至らないのでしょうか。
「オールドメディア」という言葉は、単なる流行語で終わることはなく、おそらく今の形のままで定着するでしょう。今後、この単語が、それこそネガティブなイメージのまま使われ続けられないためには、旧来のマスメディアは、その報道姿勢において相当な方向転換を迫られると思います。
今では珍しい、新聞を読む風景



