濃度の濃い出会い?!?―むしろ肉声、肉筆のリアリティーに心が動く時代―Ⅰ
文学!?!どういう意味?!?
前回、商業的、広告的臭いを感じさせない、文章による「情報発信(アウトプット)」を心がけるべし、と提案しました。
それでは、社長の「情報発信(アウトプット)」はどうあるべきなのでしょうか。どういった特徴を持つべきなのでしょうか。
そこで、ここはとても重要なところなのですが、私は、社長の「情報発信(アウトプット)」は、ある意味「文学的」であるべき、と考えています。「文学って!?!・・・そんな!ビジネス的な世界からは最も遠いんじゃないの?!」と言われそうですが。
そうです。そのまま「文学」という言葉を持ってきたのでは、ビジネスからあまりにも遠くなってしまうので、少しぼかして「文学的」と表現したのです。
例えば私の場合、このコラムにしても他のHP(ホームページ)に掲載しているブログにしても、1本のエッセイ(随筆)を書くような気分で書いています。エッセイ(随筆)が文学の一分野だとすれば、私は自分の「情報発信(アウトプット)」をエッセイ文学風に行なっていることになります。
気をつけるべきはこの2点
私が自分の発信する文章に、やや文学的な要素を含ませるのには2つの理由があります。それは前述した「商業的に見えないようにしたい」という点と「専門的に走り過ぎないように」という2点です。これは、私としては結構重要な要素だと思いますので、以下詳しく説明します。
まず、経営者の発信する文章がコピーライティング的になったら、読む人はその広告臭さにすぐ気がつくでしょう。そんな印象を与えてしまったならば、その後読んでもらえなくなる可能性があります。そういう意味で、経営者の発する文章には、商業的雰囲気から一定の距離をとった格調の高さが大切なのです。
また、「専門的に走り過ぎないように」というのは、「わかりやすさ」と同義語でもあります。専門用語を駆使してマニアックに書かれたものは、もともとその世界に詳しい人には面白いかも知れませんが、一般の人には極めて取っ付きにくいものになります。そこに文学的な要素を加えることで表現が中和され、わかりやすい文章になるのです。
文学的香りでプラス効果を
経営者の「情報発信(アウトプット)」は、ちゃんと自らの事業に向き合っている、というスタンスから原則離れるべきではありません。しかし、あまりそれを強く匂わすと警戒され敬遠されてしまいます。
そこで、ちょっと意識して文学的味付けをすることで、インテリジェンスの香り高い読みやすい文章を目指すのです。「そんなの、気取って見えて却って逆効果じゃないの。」と心配される向きもあるかと思います。
しかし、インテリジェンスの高さが、経営者にとってマイナスに働くことは決してありません。それどころか、そういった印象を与えるだけでも、事業そのものにプラスの効果を与えます。
マイナスがあるとすれば、同業者の僻みくらいのものです。それとて気にしなければどうということのない世界です。
経営者は、自ら発信する情報の「文学的香り」について、是非一度意識してみて下さい。せっかく「情報発信(アウトプット)」するのであれば、できるだけ文化度の高いものを・・・これが私の考えであります。そして、そんな世界にチャレンジされる経営者を応援したいと思っています。
昨年購入した職人さん手作りの万年筆
こいつで原稿を書くことも。
おしまい