私の仕事史「マイ チャレジング デイズ」―バブルを横目に、かくもエキサイティングな日々―Ⅰ
そろそろ帰らなくては・・
さて、流れ流れてたどり着いた北海道の酪農牧場で、牧場のメンテナンスや干し草づくり、酪農牛の世話から搾乳、出産の立ち合いまで経験した私も、そんなに長くは学業の方を放っておけなくなってきました。大学の長い春休みもさすがに終わりが見えてきました。当初の約束は2ヶ月弱だったので、3月も終わり、4月に入って東京に帰る日が近づいてきたのです。
あっという間に消えてしまったクソの山
相変わらず、牛の糞の山は毎日積み重なっていきます。どこまで、これを積み上げていくのだろう、と思っていた春先のある日のことでした。
近所(といっても全て数キロ四方ではありますが・・)の牧場仲間の人たちが、トラクターや小型のブルドーザーなどに乗って一斉にやってきたのです。そして、私がヒーヒー言いながら毎日積み上げてきた糞の山を、雪を空中に飛ばして除雪するあの除雪車のように盛大に牧場中にばらまいたのであります。
つまり、牛が牧草を食べて排泄した大量の糞は、再び牧草の栄養分として牧場にリサイクルされたことになります。私が毎日慣れない一輪車を操りながら苦労して積み上げたクソの山はこうやって、ほぼ半日もかからないうちに全く姿を消してしまったのでした。
もうそのてっぺんから北海道の雄大な景色や地平線に沈む夕日を眺めることもできなくなりました。まあだからといって、それが極めて残念ということもなかったのですが・・・・
「連帯」は必要不可欠な生活の知恵
このとき以外も、北海道の酪農家では、一つの農家では対処できないような作業については、何軒もがまとまって取り掛かる申し合わせが昔からできているようでした。これも、厳しい環境下で生きていく上での、大事な知恵なのだろうと思いました。
彼らの場合、仲が良いとか悪いとかはあまり関係ありません。必要な時はこうやって助け合わなければ生きていくことができないからです。そういう意味における「連帯」というのは、この土地で生きていく上での基盤のように私には見えました。
青春のいい思い出・・・ではないなあ
さて、総括的にこの北海道の日々を思い起こしてみれば、以前にも書きましたように随分濃い50日間だったことになります。細かいことを思い出してみると、まだまだ書けることはいくらでもありそうです。
では「青春のいい思い出」といえるか、といえばそうでもないなあ、と振り返る自分がいます。私がはっきりと確認できたのは「俺には絶対畜産業に就労はできないな。」ということでした。
かなり過酷な労働であり、なんといっても休みが取れません。大自然との触れ合いや日々の労働の中に、ちょっとした喜びや充実感といったものがないわけではありませんが、それでも私にはきつ過ぎると感じました。
エスケープの先に大したものなどないのだ
不思議なことに、行きの夜行列車や青函連絡船のことはよく覚えていますが、帰りの旅のことは全く思い出せないのです。あまりに過酷な体験だったので、自分の中で何もかも忘れ去ろうとしていたのかも知れません。
あの体験が私の人生におおいにプラスに働いたかといえばそうでもないかなあ。いや、全くそれはないな、とはっきり言えますね。ただ、「こんな世界もあるんだ。」と経験できただけのことであります。
つまり、所詮エスケープの先に大したものなどあり得ないということなのです。ただ、50年ぶりくらいに思い出してみて、こうやって改めて書いてみると、いろいろあったなあ・・と少々感慨深いだけのことです。
おしまい
追記:いつも読んでいただきありがとうございます。
まあこの通り、いささかユニークな税理士です。
「こんなこと、相談しても大丈夫だろうか?」
といったお話についても、どうぞ持ち込んでみてください。
おそらく一般的に抱いておられる税理士へのイメージよりは
かなり幅広く対応いたします。
なにかしらのご解答はお示しできると思います。
ご縁をいただければ幸いです。