私の仕事史「マイ チャレジング デイズ」―バブルを横目に、かくもエキサイティングな日々―Ⅰ
話は変わりますが
農業従事者というか第一次産業従事者の現場における粘りというか底力というのはすごいな、と様々な場面で知ることとなった私。今回は、一次産業以外のものも含めて、仕事における「粘り」について、ちょっと話はそれてしまうけれど書いてみたいと思います。
現在、私は三次産業であるサービス業としての税務会計業務という分野を担当しています。(「サービス業」と言い切ることに関しては異論のある方もいるようですが・・・)さて、この仕事において粘らなければならない」場面というのは、どんなケースを指すのでしょうか。
いろいろあるとは思いますが、次の二つの場面が考えられます。それは「何らかの法則なり解釈なりを追求しなければならないとき」と「対外的な交渉の場面」の二つです。
公正中立で妥当な線はどこ
前者は、どういうことかといいますと、まず「税法」という枠の中で仕事を提供している以上、その枠を外れることは許されません。しかし、どういう法律にどう当てはめたらいいのか、どんな解釈が公正中立であり妥当なのか、というのは専門家であっても迷うことが多いものです。そんなときは、粘り強く妥当な線、落としどころを追求していく必要性があります。
様々なデータ、文献、判例などに始まって、ときにはその分野の専門家に直接聞いたりしながら追求していくのです。そういった「粘り」がなければ、顧客に対していい仕事は提供できません。
テクノロジーの発達は凄まじい
後者の「対外的な交渉」というのは、私の場合、そのほとんどが顧客との交渉を指します。その中で特に想定されるのは、新しいシステムや技術の提案、それにともなってこれまでのやり方を変えていく、などのケースになります。
近年、会計の世界においてもテクノロジーの発達はすさまじく、コンピュータの処理機能はぐんぐん上がっています。なおかつ、それがネットに繋がれた世界においては、これまでできなかった多くのことが実現可能になりました。今回のコロナ禍をいい機会に、我々の仕事がオンライン上でかなりの部分実践できることも確認されました。
お客さんは保守的なもので
問題は、これらのテクノロジーをこちら側で把握しても、それをお客さんに伝えることがなかなか難しいということです。大抵の場合、お客さんは保守的です。事務系の省力化効率化のように、我々から見て取り入れて当然、と思うような話でさえ簡単には受け入れようとしません。
こんなときは、あらかじめ初歩的な提案という形でくさびを打ち込みながら様子を見て、機会あるごとに粘り強くお勧めしていきます。そのうち、周りの様子も変化してきて、ようやく受け入れてもらえる環境が整ってきますので、それまで、あきらめないで粘り切る必要があるのです。
お手上げのⅠT系トラブル
とまあ、職業上の「粘り」について、ちょっとエラそうなことを書いたものの、「俺って「粘り」がないなあ・・」とつくづく感じることがあります。それはデジタル系の設定やトラブルのときです。
使えそうなアプリを取り込んだり、必要なシステムなどを起動させようとするがうまくいかない、そもそもちゃんと取り込めない、といったことがよくあります。ちょっとした会員登録などにももたもたすることが多いのです。
或いは、以前使っていたシステムを久しぶりに動かそうとしたが動かない、といったときの対処の仕方です。それは、なにかの手順が間違っているか、必要な操作が欠落しているからであり、粘り強く追求していけば原因は必ず見つかるはずです。(パスワードが絡んでいることが多い)
しかしこういったケースでは、大抵の場合私はお手上げになります。自分でごちゃごちゃやっていても埒が明かないので、若いスタッフを呼んで「おーい、何とかしてくれ。頼むわ。」と、懇願するしかありません。
解に辿り着くまでの粘りがすごい
さて、すると彼ら彼女らはちゃっちゃっと簡単に解決してくれます。また、そう簡単にはいかない厄介なケースでも、実に粘り強くその解決策に没頭してくれます。私が見ていて、解決へ向かうテクニックもそうですが、なんとか目途がつくまでしつこく掘り下げてみたり繰り返していくその「粘り」がすごいなあと思います。
そうやって、彼らはなんとか解決にこぎつけてくれるのです。そして「はい、動くようになりましたよ。(或いは「つながりましたよ。」)今度から、ここをこうやってください。ここは触っちゃだめですよ。」と親切に教えてくれます。
このⅠT系トラブルに対する「粘り」に関して、私は本当に情けなくなるくらい弱いと自覚しています。まあ、いつまでもこんなことでは情けないので、『デジタルの世界にもうちょっと強くならなくては・・・』と思っている今日この頃なのであります。
トラブル対応能力が問われる場面
つづく