商売が儲かる仕組みになっていない?―儲からない、には二通りある―Ⅱ
[センスや知性が要求される世界]
人の口から出た言葉を聞きながら、同時にそのまま文章に書き起こすのが口述筆記です。
耳で聞いたその言葉を文章にするだけですから、速記者によってそれほど差が出るとは思えません。
ところが、実際にはその人によって、口述が滑らかにうまくいく場合とギクシャクする場合とあるようなのです。
何故なのでしょうか。
ひとつは、日本語には同音異義語が多いので、漢字によっては意味が全く違うものになるということです。
これは、外国語にはそんなにあり得ない現象なのではないでしょうか。
例えば、「○○の指示を待った。」と「○○の支持を待った。」では、中身がまるで違います。
「用件を伝えた。」と「要件を伝えた。」とでも、かなり意味が違ってきます。
更に「汎ヨーロッパ」と「反ヨーロッパ」では、もうほとんど逆の意味になるといってもいいでしょう。
口述筆記者が、文脈を瞬時に理解して的確な言葉をあてるのは、おそらくかなりのセンスや知性が要求されるのではないでしょうか。
こういった微妙な違いが、作家など言葉を伝える側にとって、口述筆記者の持つ技量の「差」ということになります。
さて、センスや知性のあり方には若干違いがありますが、経営計画の策定にも同じようなことが言えます。
経営者の意図を的確に読み取って、計画に忠実に反映させるにはそれなりのキャリアや知識が必要なのです。
口述筆記が、作家の発する言葉をその意図を違えることなく忠実に再現する作業だとすれば、経営計画策定は、経営者の持つ夢や構想を、数字という手段を用いて具体的に見える形にまで持って行くという作業と言えるでしょう。
言葉と数字の違いはあれ、他者の頭の中にあるものを表面化させるという点で両者はよく似ています。
頭の中ら引きだしてください。
つづく