自動化はいつになるのか―競争はアプリからボットへ―Ⅱ
[AIが思考を創造することはない]
タイブレークにまで持ち込み、満を持して臨んだ将棋の電脳戦。
最善の手を指し続けたにもかかわらず、負けてしまった人間側の佐藤名人。
彼は、呆然自失、どうしても納得いかない様子に見えた。
その動揺している姿が、テレビをの画面を通じて、ひしひしとこちらにも伝わってきたのである。
AIは思考を創造する訳ではない。
膨大なビッグデータから、指定された目的に適った最善の組み合わせのようなものを選んでくるだけである。
しかしそれが、人知の及ばないような膨大かつ茫洋としたデータの世界から、理にかなったものを見事に選びあげてくるとしたらどうだろう。
それはもう人間の判断力や想像を超えているのではないだろうか。
この番組を見ていて、人間が処理業務として或いは作業として取り組んできた労働の世界は、本当にこの世から消え去るのかも知れないな、と思えてきた。
私は、それはそれでハッピーなことと思う。
ただ、そういった労働の世界が消え去った後、人間は何をするのか、ということである。
考えてみれば、私は自然にそういった方向性でものを考えていたのかも知れない、とも思う。
私はこの業界に入った初めの頃、自分で入力作業もしていた。
しかしそれは、
「俺は何でこんなことをしているのだろう?」
と、それは極めて疑問符のつく仕事の一つだったのだ。
当時は父の部下という立場だったために、仕方がなかったのである。
とはいえ、数字をカチャカチャ打ち込んでいる自分の姿にはとことん嫌気がさしていた。
ある時お客さんのところで、女性の社長さんに
「博士先生(私のこと)は、この仕事がホントに嫌いでしょう?」
と笑いながら言われたことがある。
「えっ、そ、そんなことは、別に・・・」
と慌てていると、
「背中がハッキリとそう語っていましたよ。」
と、やはり笑いながら言われたのである。
そのとき私は、数字の残高を合わせるための入力作業を行なっていた。
その私の背中を見て女性社長さんは、そう言ったのである。
間もなく私は、立場が変わり、こういった作業的な仕事からは卒業させてもらった。
しかし、私が止めるばかりでなく、この入力作業みたいな仕事そのものが無くなるべきではないだろうか、とその頃から思っていた。
入力作業は苦手でした
つづく