私の仕事史「マイ チャレジング デイズ」―バブルを横目に、かくもエキサイティングな日々―Ⅰ
[日本は三流、五流の国家に落ちつつある?!?]
先日読んでいた読売新聞のインタビュー記事の中で、面白い見解が述べられていましたので紹介したいと思います。
インタビューに答えるのは、経済同友会前代表幹事の小林喜光氏(73歳、三菱ケミカルホールディングス会長)です。
「デジタル化対応急務」というタイトルで述べられていたのは、以下のような内容でした。
―(今回の新型コロナウイルス禍において)日本はデジタル化やその活用が決定的に遅れていることが明確になった。
在宅勤務の社員が判子を押すためだけに出社を強いられ、ウェブ会議ではズームやスカイプなど米国企業のシステムが多く利用されている。
日本は三流、五流の国家に落ちつつあるとの認識を持つべきだ。―
のっけから厳しい見解です。
今回の新型コロナウイルス禍に際して、73歳の小林会長は、日本企業の非効率性、他国のソフトやシステムに依拠せざるを得ない今の実態を強く実感されたようです。
三流、五流という言い方に、やや年齢を感じますが・・
私も、原稿の執筆など仕事に集中して、ようやく気持ちが乗ってきたぞ、と思う瞬間に、
「銀行提出書類に判子ください。」
と、総務の女性がやって来るのには閉口させられることがあります。
もちろん彼女は、自分の担当する仕事なので悪気などあるはずもありません。
こんなとき私は、ようやく掴みかけた文章のとっておきのフレーズが、どこかへ飛んでいくのをどうすることもできないのです。
そうやって、一度飛んで行ったフレーズは二度と戻ってくることはありません。
再び仕切り直して、集中力を取り戻そうとあがかなければならないのです。
こんなとき、
「なんでいまだに銀行は『判子』なんだよ!」
と強く思います。
「こんなやり方しているから、世界の金融機関に大きく後れをとるんだよっ!」
と、心の中で叫ぶのであります。
もちろん私の事務所でも、ネットバンキングなどは当然取り入れて、かなり合理化は進めています。
しかしながら、上記のように肝心のところでは『判子』すなわち印鑑による押印が必要なのです。
毎回『判子』を押す瞬間に、「全くもう!」と、この国の「遅れ度合い」を強く感じさせられるのです。
デジタルで行こうぜ!
つづく