薄利多売ビジネスで賃金が安い国とコスト勝負する日本―製造業は、なぜ国産回帰できないのか?―Ⅳ
この街にも多くの中小企業が・・・
[中小企業の価値は「人をムダに使う」ことにある?]
「中小企業は国の宝だ」という日本の「常識」が本当に正しいのか、疑問に思えてくる、とかなり大胆な発言をされるアトキンソン氏。
いったい、どのような説明をされるのでしょうか。
それは「中小企業の価値は「人をムダに使う」ことにある」というタイトルでの論理展開で、いかのようなものでした。
―日本では、中小企業がやたらと大事にされています。
「中小企業は国の宝だ」「日本の技術を守っているのは中小企業だ」という声を聞くことも少なくありません。(中略)
中小企業は規模が小さくなるほど、人力に頼る傾向が強くなります。
従業員が少なく、分業ができないので、専門性が高まらず、機械化もなかなか進みません。
その結果、効率化が進まないので、その分、余計に労働力が必要になるのです。
だからこそ、生産性が低いのです。
人口が増加し、労働力があふれている時代には、中小企業の存在は貴重です。
なぜならば、中小企業は人間により多く依存する「労働集約型」で、ある意味、人をムダにたくさん使ってくれるからです。
中小企業自体の労働生産性が低くても、これらの企業が雇用を増やし、就業率が高まれば、国の全体の生産性も高まります。
その意味では、中小企業の存在も生産性の向上に貢献していたと言えるのです。―
いやはや何とも厳しい指摘です。
私にとって、アトキンソン氏の言われる
「中小企業は人間により多く依存する「労働集約型」で、ある意味、人をムダにたくさん使ってくれるから、その総和は国全体の生産性に貢献していたのだ。」
という指摘は、或る意味目からうろこの切り口でした。
中小企業という弱者に対してここまではっきりという人はいなかったのではないでしょうか。
とはいえ、「中小企業は国の宝だ」といわれる一方で、中小企業が日本の経済にとって好不況の際のクッション役になっている、という意見もこれまでよく聞かされてきたところです。
どちらの解釈にしても、日本における中小企業の立場をよく言い表わしています。
つづく