青春の彷徨、新宿ゴールデン街―無頼に生きる、がテーマだったあの頃―Ⅰ
[身の回りのちょっとしたことが自分でできなければ惨め]
大企業のトップまで行った人であれば、自信満々の人物像を思い浮かべるが、それはまるで砂上の楼閣のようなもので現実は違う、というお話は、分かるような気がします。
以前、テレビで101歳の矍鑠(かくしゃく)としたご婦人にインタビューしていた時、その答えが面白かったのです。
「どうしてそんなにお元気なんですか?」
と聞くインタビュアーに、そのご婦人は
「自分のことは自分ですること。クヨクヨしないこと・・・」
と答えていたのです。
まず最初に出た言葉の
「自分のことは自分でする。」
というのが興味深いところです。
「その通りだよなー・・」
と深く納得させられます。
ところで
「自分のことは自分でする。」
という意味では、年を取ってからは女性の方が圧倒的に強いだろうと思います。
女性の場合、身の回りのことは大抵自分でできるからです。
この「自分でできる。」ということの圧倒的なアドバンテージは、人生最後の最後にものすごい効き目として浮上してくるのです。
例えば自分の周りで考えてみても、昨年亡くなった私も父などもこの点はまるで弱かったことが思い出されます。
昔どんな高いポジションにいたとしても、何十億の資産を持っていたとしても、人生の終盤、まだ身体は動くのに、身の回りのちょっとしたことが自分でできなければ惨めなものです。
人は最低、食べる、着替える、移動する、排泄する、といった行為をすべてはしょることはできません。
こういった行為が、滞りなくできるうちは人間としての尊厳やプライドを守ることはできるだろうと思います。
つまり、最低限の「自信」を持ち続けることは可能なのです。
しかし、この人間として最低必要な行為ができなくなれば、根本から「自信」というものが失われていくのではないでしょうか。で、昔、社会的ポジションの高かった人ほど、それが早めに訪れるようなのです。
焼酎だけは自分で作ります。が・・・・
つづく