私の仕事史「マイ チャレジング デイズ」―バブルを横目に、かくもエキサイティングな日々―Ⅰ
[話しが難くてユーモアのない人には誰も用はない]
中国人元実業家の宋文洲氏の友人が言うところの
「元社長の名刺を持つ老人は、だいたいつまらない人で老人ホームでは人気がない」
というお話。
宗氏の文面はさらに次のように続きます。
― 老人ホームではもう昇進する必要もなければ金儲けをする必要もないので、大企業の元トップであろうが元外交官であろうが、話しが難くてユーモアのない人には誰も用はありません。
所属の組織を利用して「あなたは誰か」に答えてきた人たちは、一人になることが難しいのです。―
まあ、当たり前といえば当たり前のことが書かれているのですが、こういう典型的な現象が、老人ホームなどで実際に起こっているということが、ある意味もの悲しくもあります。
以前、税理士会の中で
「小さな支部を近隣の大きな支部と合併させて、会務の効率化を図ったらどうか」
という試みが提案されたことがありました。
試みといっても、小さな支部の支部長に1回ヒアリングを実施したに過ぎなかったのですが。
私は、当時その合併に際して吸収されてしまう方の小さな支部の支部長でした。
ヒアリングに際して意見を聞かれた私は
「どうぞ。どうぞ。効率化を図れるのならどんどん推進してください。」
と、述べたのです。
ところが、私の意見は少数派で、大半は合併に反対でした。
中には
「『支部長』という肩書は、田舎ではそれなりに効き目がある。この肩書を残して欲しいので支部を合併するのはやめてもらいたい。」
という人までいたのです。
「効き目って・・・いったい何言ってんだろう、この人は。」
と、私は少なからず驚きました。
しかし
「こんな小さな肩書でもしがみつきたい人はいるんだなあ・・・」
と、やや複雑な気分だったことを覚えています。
さて、私は「肩書」という切り口でいろいろ述べてきましたが、宗氏は「自信」ということについてさらに以下のように述べられています。
―「自信を持つ」ことはとても大切なことですが、偉い立場に慣れた人達は皆自信を持っていると思うかもしれませんが、私はこれは砂の上に立つ楼閣のようなものだと思うのです。
彼らは一個人としての生存力と野生を失い、組織に付着していないと生活さえできなくなります。
これでは果たして本当の自信を持てるでしょうか。―
普通、大企業のトップまで行った人であれば、自信満々の人物像を思い浮かべます。
しかし、それはまるで砂上の楼閣のようなもので、現実は違うようなのです。
西郷さんはどんな人だったのかなあ~
つづく