青春の彷徨、新宿ゴールデン街―無頼に生きる、がテーマだったあの頃―Ⅰ
[残りの人生どうやって充実したものにしていくか]
この年(66歳)で同窓会に出ると結構複雑なものがあります。
三々五々、ホテルなりに集まった我が同窓生は、夜、宴会場へと集合していきます。
で、毎回の儀式は、幹事のあいさつの後、乾杯の前に、この1年で亡くなった恩師や同級生に黙祷を捧げるのですが、この数が年々増えていくような気がします。
以前、10年ごとに開催していた大型の同窓会(全国いや全世界から同級生が集まる。)を「5年ごとにしようぜ。」となったのは、「10年だと、会えない奴がうんと増えそうだから。」という理由によるものでした。
という訳で、前回40周年で集まった我が同窓生は、5年後の45周年に集合したのです。
お互い年はとったが、気持ちはあっという間に昔に戻ります。
ただ、今年も参加してみて、私の心はなんだかざわざわと落ち着かなかったのです。
友人たちのほとんどは、それまで打ち込んできた本業から離れて次のステージへと移りつつあります。
つまり、人生の後半へとまとめに入りつつあるのです。
それに比べると、俺はいったい何をやっているんだろう?と、思わざるを得ません。
全くほとんどまとめに入れずにいるのです。
まるで周回遅れのランナーのようでもあります。
ただそのことで焦っているわけではないし、羨んだり妬んだりしているわけでもありません。
羨ましいわけではないが、まだほとんど先の見えない我が身と、あまりのギャップになんだか落ち着きが悪いのです。
私と同じように個人事務所を経営している同級がいました。
彼は建築家で、以前話をしたとき、私と同様事務所の経営に苦労しているようだったのです。
お互い借金返済に四苦八苦しているという意味で、妙な同士意識を持ったことを覚えています。
「よう、同士、相変わらず借金に苦しんでるかい?」
と、酒を片手に、私は彼に軽口を叩きます。
そうすると
「いや、だいぶ減って、あと少しになった。」
との返事。
肩すかしを食って私はガクッと来ます。
裏切られた気分であります。
「まあ、そうだよなあ。ここまで来たら、それくらいの目途はつけておかなくちゃおかしいよなあ。」
心の中で軽く嘆いている自分がいました。
まだ完全に坂道の途中の自分がいるのです。
へーへ―言いながら登っているが、坂の頂上が見えません。
一方で、すでに平坦な道に入った同窓たちがいます。
彼らは
「さて、これから何をしようか。楽しみだなあ・・」
といった心境なのかも知れません。
とはいえ、平均寿命を考えるとあと二十年近く。
どうやって残りの人生を充実したものにしていくか。
「どうなるんだろう?俺。」
な心境の日々なのです。
ラジオに出たりしてんですけどね。