もったいないよな~この景色―海のロケーションと日本文化を考える―Ⅰ
[安定というのは幻想ではないのか]
先日、新聞の書評欄に面白い一文がありました。
「その日暮らし」の人類学(小川さやか著)という本に関する、旦敬介氏(明治大学教授)の書評です。
評者は、大学の先生として日常的に学生たちの「就活」の現場に触れ、その安定志向ぶりをつぶさに見ています。
その現状に対してこの本は
― 安定した未来のために現在を我慢する方がいいのか、第一、安定というのは幻想ではないのか、と問いかけ、反主流的な働き方へと挑発的に誘う。―
ということらしいのです。
なるほど面白そうです。
書評は以下のように続きます。
― (この本は)日本人の仕事観が世界の全体の中ではきわめて異様なものであることを示す。
世界の大部分では安定した雇用はむしろ稀なものであり、ほとんどの人が雇用されずに自分の工夫で小規模なビジネスを展開して人生を構築している。
そのような仕事では未来はまったく不確実だが、まさにそれゆえ、急速な成長が可能であり、状況の激変にも対応でき、リスクの分散もしやすくて、かえって強さと安定性があるというのだ。
不確実であることは希望がないことと同義ではないという。―
学生に限らず、ほぼ日本人全体に共有されているであろう「安定志向」の仕事観は「きわめて異様」とさえ書かれているのです。
この一文を読んで、私の身近なある人たちのことに思いが及びました。
私の友人や家内のお友達、知り合いの社長さんなどには、この「安定志向」の中の「安定志向」・・「公務員志向」の人が何人もいたのです。
別に「公務員志向」がすべて悪いとは言いませんが、その理由が決まって
「うちの子は営業や人付き合いが苦手だし、公務員なら倒産もなければ、よほどの失態がない限りリストラされる心配もない。退職後の保証も手厚いから、(公務員に)なってもらうと安心だ。」
的なものだったのです。
間違っても
「国家或いは地元のために身を粉にして働いてもらいたい。天下国家に必要とされる人間になるために公務員を目指してもらいたい。」
などと言う人は一人もいませんでした。
まあこの表現は少し大げさとしても、「(ある種の)使命感のために・・」といった話は聞いたことがありません。
こののどかな海のような安定を望むのでしょうか。