常識破りの功罪Ⅲ
製造において、杜氏を廃止するという、まるでそれまでの伝統を破壊するような、極めて大胆な手法に打って出た桜井氏でした。
しかし、『いい酒を造りたい』というより大きな目標の前では、杜氏を使うか否かの選択は、より小さな意味での伝統の破壊に過ぎなかったのだろう、と思います。
一見、伝統の破壊とも見えるこのような行為は、通常ただの無謀なチャレンジととられがちであります。
しかしながら、桜井氏のように合理的かつ科学的に分析を行ないその裏付けをしっかりとるという周到な準備の下に実践することができれば、またそれは新たな伝統の形成となるのです。
製造に関して、ここまで思い切った手に打って出た桜井氏でしたが、販売に関してはいったいどのような行動に出たのでしょうか。
― 販売業者には最初にこう伝えた。
「我々は獺祭を売る覚悟がある。売れるまで引き下がらない。できるかぎり努力する。だが、それでも売れなかった場合は、取引する相手を代える。売れなくてもずるずると付き合うことはない」。―
これもまた杜氏の廃止に負けず劣らず大胆な宣言といえましょう。
今までと違い、今後は同じ「売る」にしても、値引きを前提とした「お願い営業」とは決別する、という決意表明でもあるのです。
杜氏の廃止は、企業内部で働いていた人間に対する雇用打ち切りの表明でもあります。
しかし、販売業者へのこのように宣言するということは、製造業者の生殺与奪の権限を持っている外部関係者への挑戦的な表明でもあります。
こういったスタンスで販売業者と対峙するというのは、杜氏の廃止とはまた違う意味で、極めてリスクの高い覚悟の上の宣言だった、と考えられるのです。
みんなで飲むお酒はこれがまたうまいんですよねー。
つづく