どこでやるのか、は大事?―考えてみよう、立地というブランド―Ⅲ
確かに改革というのは、歴史の長い業界ほど難しいと言えましょう。
霧島酒造に関する分析はさらに続きます。
― 霧島酒造の現社長が就任した1996年は、業界は増税などで打撃を受け、ライバル企業が地元にも進出し、倒産するのではないかというどん底の状態を迎えていました。(中略)
現在、霧島酒造は焼酎メーカーの売り上げランキング(帝国データバンク)で2004年の業界6位から、2012年に売上高500億円を達成し、三和酒造を超えてトップに躍り出ています。
極めて厳しい経営環境から、どのようにして飛躍のきっかけをつかんだのでしょうか。
そこには通常とは真逆の「離れる戦略」の存在を垣間見ることができるのです。―
これは少し古いデータに基づいた分析ですが、霧島酒造も、経営的には当初極めて厳しい状況から出発したことが窺えます。
とはいえ、そのどん底だったのが、つい1990年代のことです。
それが比較的短い期間でトップに躍り出たのですから、そこのなんらかの図抜けた戦略があったに違いない、と推測するのは当然のことでしょう。
その点を、この分析では「離れる戦略」と捉えていますが、この戦略についてはその前提を含めて論理的に辿って行かなければ分かりづらいでしょう。
以下、「離れる戦略」至るプロセスをこの分析の中から学習してみたいと思います。
経営転換の夜明けを迎えた霧島酒造
つづく