歴史の虚妄について考える―フィクションとしての歴史に向き合う―Ⅰ
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。」といいます。
歴史というのは学ぶべき教訓も多く含んでいるのですが、隣国2国を見ていると、使いようによってはとんでもないネガティブかつ攻撃的なツールとしてそれなりの威力を発揮することがわかりました。
他者を貶めるために、歴史がこんなとんでもない使い方をされるとは、正直者で人のいい日本人はこれまで考えもしなかったでしょう。
特に近代史においては、日本人自らが「かつて我々はとんでもない悪党国家だったのだ。」と、教育の現場で教えてきました。
私自身そう学んできました。
もちろん過去において、日本の過ちもそれなりにあったのでしょうが、それだけではなかったことがあちこちで証明され始めています。
私など、今はできるだけ「本当のところ」が知りたいと思っています。
しかしながら、後世における「歴史」というものの作られ方をよく観察していると、「本当のところ」がかなり難しいことがわかってきます。
とはいえ、少なくとも隣国2国が主張するメチャクチャな歴史ではなく、もっと「本当に近いところ」が知りたいと思うのは私だけではないでしょう。
その「見直し」作業もようやく進み始めました。
隣国2国にとっては都合の悪いところでしょうが、これは確実に進める必要があります。
あの2国が、何故あそこまでして日本を目の敵にするのかいまだによくわかりません。
しかし、怨恨や憎悪を根底に持つ歴史の捏造に対しては、あくまでもフィクションではなく、厳然たる事実確認で戦うしかないのだろうと思っています。。
おしまい