MADE IN JAPAN・・・かつてのイメージについてⅣ(おしまい)
先日電車に乗っていてふと考えたのであります。
吊革につかまり立っていたら、私の前の席に座っていた髪の薄い小太りの中年男性が立ちあがったので、その空いた席に私は座りました。
「うっ!温かい。」
その中年男性のけつの温もり(品のない言葉ですみません。この後この温もりを「のこもり」と表記いたします。)が残っていました。
「うへっ、気持ちわりぃー。」
自動的に脳がそう働きました。
しかしその時、「待てよ。」と思いました。
もし、この席に座っていた人間が藤原紀香とか新垣結衣ばりの美人女性であったならば、同じ「のこもり」もまるで違ったものになったのではないか、と。(美人の代表が上記の2人でいいのかどうかは別として・・・)
中年親父の「のこもり」の方が気持ち悪い、という科学的根拠などまるでありません。
細菌やウィルスがいっぱい、或いは臭いがうつるという実害が起こりうるとも思えないのであります。
つまり、座っていた人が立ったあと、席に残る「のこもり」が、気持ちいいのか悪いのかというテーゼはほぼ100%気分の問題なのです。
そう考えると、世の中の大半の動きは科学的根拠による、というよりもこの気分という奴に左右されているのではないか、と思えてきました。
つづく