私の仕事史「マイ チャレジング デイズ」―バブルを横目に、かくもエキサイティングな日々―Ⅰ
当時、祖母の店のあった大隅半島の大崎町から鹿児島市までは馬車で1日がかりだった、と言っていました。(馬車ですよ、馬車!)
最初は玄関払いで相手にもされなかったらしいのです。
しかし、めげずに何回も通っているうち、祖母の熱心さと粘り強さにとうとう配給の権限を持つ担当の課長さんが折れたそうです。
で、結果として、優先的に祖母の店に砂糖をまわしてくれることになったのです。
さて、ここから祖母の快進撃が始まります。
当時からカステラはお菓子屋のメイン商品だったため、よく売れたそうです。
と言ってもやはり贅沢品に変わりはなく、贈答進物の需要が主で自宅用としてはなかなか庶民の口に入るものではなかったのです。
そこで祖母は、カステラを焼くときに出る売り物にならない切れっぱしを袋に詰めて、カステラを買ってくれたお客に無料であげるサービスを始めました。
切れっぱしは確かに見栄えは悪いが、味は本体と変わりはありません。
却って歯ごたえがあって香ばしく、もっとおいしいくらいなのです。
他のお菓子屋の男性経営者は
「そんなものをタダであげたら、本体の方のカステラの売上に響く。とんでもない!」
としか考えなかったようです。
祖母の発想の転換であったのです。
「どうせ仲間内で食べるか、捨てるしかしないものをお客様に差し上げて何が悪い。お客様も普段自分たちではなかなか口に入らないものだから、きっと喜んで貰える。」
祖母には確信がありました。
案の定、このサービスで祖母の店はたちまち評判になり、お客さんがいっきに増えました。
もちろん他にも女性らしい、きめの細かいサービスをいろいろと提供したようです。
そして、結果として意地悪をした他のお菓子屋の常連客まで根こそぎ自分の店のファンに変えてしまった、と語っていました。
「あの頃、私に意地悪をした周りのお菓子屋は、今は一軒も残ってないよ。」
祖母は介護施設のベッドの上にちょこんと座ってニヤリと不敵な笑いを浮かべながらそう言いました。
つづく