私の仕事史「マイ チャレジング デイズ」―バブルを横目に、かくもエキサイティングな日々―Ⅰ
その「恋愛ドタバタ劇」の際には、先輩や友達同士、アドバイスしたりされたり、何だかんだと議論したり意見をぶっつけあったりもします。
少なくとも、当時の私はそうでした。
しかし、そんななか、恋愛に関してK女史ほど過激かつ直截なアドバイスをくれた人はいませんでした。(それを実行に移した私も私だが…。)
なんと言っても、紅茶を飲みながらモーツアルトを聞いていた上品かつモダンなお婆ちゃんです。
そんな過激な発想が出てくるなんて、一体誰が予想できたでしょうか。
いずれにしても、K女史は間違いなく私の人生にとても強烈なアクセントを残してくれたのです。(とは言え、それは私の勝手な言い分であって、「さらわれた」相手にとっては極めて迷惑な話だっただろうが…)
K女史はおそらく明治、或いは大正初期の生まれだと思う。祖母を見ていてもそうだが、このころに生まれた人はなんだか「モノ」が違う、という感じがしてなりません。
一坪ショップの魔女、K女史のスケールは一坪どころではなかったのです。
K女史にしても私の祖母にしても「結果」を出すことに対して、その考え方や行動が実にシンプルです。
一度決めたら、四の五の言いません。
「結果が欲しいんだったら、覚悟を決めてこうやれっ!」
と決断してからのアプローチが最短距離、最速、最強なのです。
我々に最も欠けているところかもしれません。
「若い頃の旅がなければ、老いてからの物語がない。」
といつか何かの本で読んだことがあります。
味のあるいい言葉だな、と心のどこかに引っかかっていて時々思い出すのです。
「若い頃の旅」を例えば青春時代の数々のドタバタ劇とすれば、後で苦笑いしながら思い出す物語が多いほど、人生面白かったという気持ちになれるのだろうか。
(尤も、まだ自分が「老いた」などとは全然思っていない。これからもあれこれドタバタ劇があるのかも…)
私の青春時代の最も「過激な思ひ出」を作ってくれたK女史に今でも感謝し、敬愛しています。