青春の彷徨、新宿ゴールデン街―無頼に生きる、がテーマだったあの頃―Ⅰ
当時の私は、酒をしたたかにあおってへべれけになっている自分に、「無頼」であることの軽い陶酔のような気分を投影していたのかも知れません。
ゴールデン街のこの酒場の常連客の中では、私は長い間一番下の世代でした。
今考えれば、団塊の世代以上の年齢層の人たちが多かったのです。
そういう先輩連中に囲まれて、酒場はいわば人生修業の場でもありました。
「この未熟な若造めが…」と散々こきおろされて、時にはうんとへこまされ、時には腹の中で「ケッ、鬱陶しいな!」などと思いながらも、少しずつタフな酒飲みになっていったのです。
また、酒場はしばしば「恋愛」とシンクロする場でもありました。
私は自らのフィールドであり、同世代の他の連中とは明らかに差別化できるこの行きつけの酒場に、つき合った女友達をことごとく連れて行ったのです。
「どうだい、俺にはこんなサブカルチャーとの接点もあるんだぜ。」というメッセージでした。
ま、これは効果としては半々かそれ以下だったと思います。
一緒に何回も通ったガールフレンドもいれば、1回で終わりになった子もいました。
こうやって自分の歴史を振り返ってくると、今の若者の「酒離れ」「恋愛離れ」は少し気になるところではあります。
ま、確かに酒は飲みたくもないのに無理に飲むものではないし、恋愛もその気にもないのにあえて意図的にのめり込むものでもないでしょう。
しかし、特に男の場合「酒場」は多少なりとも自分を鍛えてくれる、道場でもあります。
ここでの先輩や年の離れた大人のお説教や叱咤激励、同世代との熱い議論激論は、酔いが醒めた後中身はさっぱり覚えていなくても、なんとなく皮膚に沁みているものなのです。
また「恋愛」はまともに向き合えば、1度や2度、いや3度4度は間違いなくドジります。
「恋愛」で何の失敗もしない、なんて間違いなくあり得ない。(変な言い回しですが…)
で、場合によっては、これは非常に深く傷つきます。
しかし!と声を大にして言いたいのです。
「恋愛(失恋)の経験なくして何の人生ぞ!」と心底思います。
「恋愛離れ」なんてもったいない!と若い後輩たちに声を大にして訴えたいのです。
つづく