トップの「意識」によって政治も経営も変わる!―「被害者意識」・・そのもたらすもの―Ⅱ
先日テレビ番組で若者の「○○離れ」について、かなりの時間を割いて触れていました。
車離れ、ブランド品離れ、旅行離れ、酒離れ、テレビ離れ、電話(固定)離れ、墓離れ、etc
例えば「車離れ」。
我々世代(先日65歳になりました。)にとって、車はかなり重要なアイテムでした。
何もかっこいい高級車だけ、という訳ではなく、メカであったり、デザインであったり、ブランドの歴史であったり、レースの実績であったり。
車そのものもさることながら、その車の背景や歴史などに、特に我々男どもはそれぞれの思い入れを投影させたものです。
それに何と言っても「足」として欲しい!というのはありました。
スキーに行くにも湘南に行くにも車がなければ始まらない、という雰囲気はあったのです。
私は独身の頃よりは、むしろ結婚して家族を持ってからのほうが車を駆使しました。
かみさんを助手席に、子供たちを後ろに乗せ、トランクに遊び道具を放り込んで西へ東へと遊びまくったものです。
東京に住んでいた頃、我が家では、実に中古車を3台乗り潰したのであります。
今の若い子は、男の子を含めて車に対する思い入れはあまりないらしいのです。
車を所有することの煩わしさよりも、他のことにエネルギーを振り向けたいようなのです。
ま、考えてみれば、昔からヨーロッパ映画など見ていると、結構ボコボコのオンボロ車が登場します。
成熟社会のヨーロッパでは車に対する特別な思い入れなど特にないことが分かります。
「足」として適当に使えればいいのでしょう。
日本でも今の若い子はレンタカーなどで必要な時に調達できればそれでいい、と割り切っているのかも知れません。
それだけ日本も成熟してきた、ということでしょうか。
「ブランド品離れ」にも「車離れ」と若干同じ文脈が感じられます。
無理して高いブランド品に手を出して、他とのコストバランスが悪くなるくらいだったら別に要らないな、といった感覚なのでしょうか。
いや、そんな風に理屈っぽくすら考えていないかもしれません。
初めからブランド品とか、特に興味ないし…という子も増えているのだろうと思います。
つづく