青春の彷徨、新宿ゴールデン街―無頼に生きる、がテーマだったあの頃―Ⅰ
A高原リゾートは最もプロジェクト費用の大きい案件でしたが、他にも「超高額会員権スポーツクラブ」とか「日本初の高級リゾートホテル」とか「南欧風海洋型テーマパーク」とか次々と「日本初」みたいな仕事が舞い込んできました。
【ターミネーターな毎日】
面白い仕事が途切れることなく受注できて充実した日々でした。
その代わりといってはなんですが、労働時間はすさまじいもので、その日のうちに家に帰ったことはまずありませんでした。
良くて12時、普通で1時、下手すれば3時4時という日が続きました。
それでも、朝になるとターミネーターのように起き上がって会社に向かいました。
嫌だと思ったことは一度もありませんでした。
毎日が未知へのチャレンジで結構楽しかったのです。
なんだか日々成長しているといった実感がありました。
【一生の財産】
当時は怖いもの知らずでチャレンジしていたと思います。
N総研やM総研といった敷居の高そうな企業にも体当たりで営業をかけましたし、後ではこれらのシンクタンクとコンペで張り合うこともありました。
自分たちで創業したこの会社では実にいろいろなことを学びました。
かいつまんで言えば、まずどんな困難に見える仕事でもとりあえずチャレンジしてみること、そして自分たちの可能性に決して蓋をしないこと、になるでしょうか。
その後私は鹿児島に帰りましたが、この会社にいた10年間は30年分くらい働いたような気がします。
そしてそれが私の一生の財産であり、どんな困難に会ってもまたきっと頑張れると思うのです。
おしまい