したたかな人生、祖母の思ひ出―この人だけは敵に回したくないと思わせる人―Ⅰ
私は税理士としては、少し変わった経歴を持っています。
それは2代目税理士として父の事務所を継ぐまで、東京で友人と起業した会社を経営していたということです。
バブル崩壊を挟んだ約10年間、この会社でめちゃくちゃ働きました。
自分たちで作った会社の、自分たちのやりたい仕事だったので、まったく苦ではありませんでした。
ブラック企業?・・・鼻で笑ってしまいます。
当時の仕事ぶりを思い出してみると、ブラックどころか「漆黒の闇企業」と言ってもいいかも知れません。
自分たちで切り拓いた「マーケティング」という仕事に生きがいと面白さを感じ、ものすごいエネルギーで日々戦っていました。
毎日がまるでドラマのような日々でした。
「マイ チャレジング デイズ」・・・よかったら読んでみて下さい。
私の仕事史:かくもエキサイティングな日々
マイ チャレジング デイズ・・・バブルを横目で眺めながら
Ⅰ起業:マーケティングビジネス編
(1)大学卒業からゲーム屋開始まで
【大学卒業】
昭和53年(1978年)中央大学商学部を卒業、新宿の公認会計士事務所に勤めました。
きっかり2年間の勤務の後、昭和55年(1980年)に退職しました。
それからは、今でいうフリーターのようなことをしながら、税理士試験の受験勉強をしていました。
【大学院入学と起業】
昭和58年(1983年)拓殖大学の大学院に合格し入学、この年結婚もしまして長女が生まれました。
大学院生活がちょうど2年目に入った頃、鹿児島時代からの友人に「会社を作るので手伝ってくれないか」と誘われ、設立に参加しました。
【盛り場でゲーム屋】
この会社では、新宿や渋谷のような繁華街の飲食店のテーブル上に置くペーパーゲームを取り扱う仕事をしました。
一時期は東京都内だけでも数百店舗に設置していて、ちょっとしたヒット商品だったと思います。
このゲームは軽いノリの、性格判断で遊べる面白いもので、一種のアイディア商品でした。
そのためか、やがてこのゲームを見たいろいろな企業から販売促進用のツールとしての企画の打診を受けるようになりました。
つづく