「はだしのゲン」閲覧制限は個人の自由を奪う始まり?
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「はだしのゲン」が閲覧を制限される表向きの理由
島根県松江市の教育委員会が、故・中沢啓治氏の劇画「はだしのゲン」(汐文社刊、全10巻)の小・中学校での自由閲覧を禁止し、教諭の許可を必要とする「閲覧制限」の措置をとるということが17日に報じられました。これは由々しき問題と言わざるをえません。
まず、このような措置をとる理由として、「性的な乱暴シーンが過激」という市教委の発表がありましたが、「はだしのゲン」でその指摘に相当するとされた可能性があるのは次の箇所です。
■戦後、「ゲン」がいじめられていた女子の同級生を助け、家に招かれたくだりで、その同級生の姉が米兵に暴行されたことが語られ、姉妹の生活のために米兵と交際する境遇に身を置いていたこと。
また、他には次のような描写が指摘に当てはまります。
■父の言動を理由として、「非国民」と非難されていた「ゲン」の姉(小学5年生)が、盗みの疑いをかけられ、職員室で教師の取り調べを受けて上半身裸にされる。
■被爆直後の広島市内で、服を焼かれ、全身にガラスの破片の突き刺さった女性が描かれている。
■旧日本軍が中国で行なった行為として、「女性」に残虐な行為をしている。
「閲覧制限」の裏に他の意図?「個人の自由」はどこへ
いずれも、女性は戦争の犠牲者であり、むごい目にあったことを歴史として伝えている内容で、「性的」な関心を目的として描かれたものではありません。そして作者は、被爆体験を持つ自身が己を責めるようなつらい思いをしながら、しかも、昭和40年代にどれだけの圧力と抵抗があったか知れない中で、あれだけの作品を描き上げたのです。すでに声が上がっている通り、「閲覧制限」という措置の裏には、公表されているような理由ではない、他の意図を感じずにはいられません。
もう一つ、市教委が理由として挙げている「描写が凄惨に過ぎる」という点については、実際に読めなかった人もいるため、ありうることです。ただ、それは「個人の自由」です。読む、読まないには、個人に選択の自由があります。それが無くなり、このようなことが日常的に行われるようになった時、「はだしのゲン」のような時代が来ないと誰が断言できるのでしょうか。
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