シンボリズムの森 ② 「木」のシンボリズムについて
さて被災ぶりのコラムアップです。ここ最近の天変地異の数々、被災された皆様には心からお見舞いもうしあげます。お身体の調子や毎日の気持ちの調子はお変わりありませんか?
被災直後はマスコミが取材に来たり、新聞メディアなどに取り上げられたりして忙しいながらも必死な時が一定時期続きますね。それはそれで大変なのですが、それが一段落してまだ家に中も日常生活も以前の状態に戻りきっていないのに、マスコミや世間の注目が他の事件や話題に移って、自分たちの被害に関するニュースや話題が減ってくる時がやがてきます。
そういう時に世間から忘れられたような孤独感や先行きの見えない絶望感に襲われることがあります。これはこれで「異常な事態に対する正常な反応」ではあるので、その原因をご自分の性格や考え方に求めずに、今しばらく身近な人達と声をかけあいながらやり過ごすことを心がけてください。
さて、本当に久しぶりのコラムです。様々な物語や夢などの中に現れてくるイメージ・シンボルを取り上げていろいろと考えています。
今回取り上げるのは「駅」。
流れから言うと、天と地の垂直軸に対して水平の軸としての大地の上に広がるイメージとして交通機関機関を取り上げ、今回はその一部としての「駅」を取り上げます。
「駅」と言えば電車が止まるところ。そこに着いた電車からはたくさんの人が乗り降りしてそれぞれの目的地に向かって、電車を乗り換えたり、駅から歩いて自分の目的地へ移動したりする、一つの区切りの場所です。
前回(もうかなり前ですが(-_-;))に取り上げたように、電車は「決められたレールの上を不特定多数の人が乗りこんで、同じ方向へ、場合によっては同じ目的駅まで時間を共にする」システムです。これはよくよく考えてみると、会社や学校など私たちが営んでいる社会生活そのものです。
その社会生活の中で、今まで乗っていた電車とは違う別の電車に乗り換えたり、電車を降りてそれぞれの目的地へ向かう起点でもあります。言い換えると「人生の分岐点」。なにか社会生活の中で、新しいし出発や方向転換、あるいは最終目的地としてこれまでとは違う第2の人生へと踏み出す起点なのです。
もしあなたがこれまでの日常の社会生活から方向転換を考えていたり、あるプロジェクトを終え、新たな仕事へと転換するような時、もしかしたら「駅」の夢を見るかもしれませんよ。