シンボリズムの森 ② 「木」のシンボリズムについて
まずこの写真をご覧ください。
曇天から差し込む陽光の「神々しさ」を感じられることでしょう。
科学的に言えば、単に太陽の光が雲の間隙をぬって差し込んで来た光景、としか説明できません。
しかし例えそのように説明されて頭での納得したとはしても、それとは別に心では、天上から差し込む光に何か神秘的なイメージを重ねてしまいます。
このように私たちは何故か、「上方」あるいは「垂直上昇の軸の先」に何か、この世のものではない神秘的な感情が湧き起ってくるのです。
上を目指すと言えば、私たちの年代なら「飛雄馬よ、あれが巨人の星だ!」と星一徹が星飛雄馬に指差したシーンが思い浮かぶのですが、若い世代にならドラゴンボールで悟空が修行をするために登ったカリン塔を思い出すかもしれません。悟空はカリン塔を登り、修行を積み、さらにそのてんっぺんにある如意棒を使って神様のいる神殿へ行くことができるわけです。
どちらにしても上の上の方には、理想の世界や神様が住んでいることに違いはありません。
昔から神様は天におられることになっているわけで、私たち人間は少しでも神様のもとへ近づくために「塔」や「柱」を建ててきました。だから上方の象徴的意味は大体の場合、目指す理想や目標であることが多いようです。
それに比べ、私たち人間は神様と違い、大地の上に住んでいます。重力・引力の関係で地面から離れることは原則できませんね。つまり大地は現実世界を表しています。現実的な世界から、塔を通じて神様のもとへと行く意味は、目標を達成したり理想に近づこうとすることを表しています。
ただし、それが常に上手く行くとは限りません。夢の中で高いビルや塔から「エイヤッ!」とばかりに飛び降りてしまったことはありませんか? もし上手く着地ができれば、理想を上手く現実的に達成できると言うことを表しています。失敗すれば?そういう夢を見た時は、あまり無理に理想を追い求めすぎず、時期を待ったほうが無難かもしれません。