シンボリズムの森 ④ 「花」のシンボリズム
しまった、厄介なものを取り上げてしまった、と思いつつ、「水」の第2回目。
「水」なんて普遍的なものは、たくさんの象徴的な意味があって、なかなか簡単にまとめきれないのですが、その中で前回は「生命力としての水」と「愛情としての水」を取り上げました。
今回はまず「浄化としての水」。
これは思い当たりますよね、日々の洗い物・トイレから入浴まで「汚れを落とす」という時に水を使うのはまずファースト・チョイスでしょう。
それをもう少し膨らませると、宗教的な意味でも「みそぎとしての水」や「ガンジス川での沐浴儀式」「キリスト教の聖水の儀式」まで様々に「穢(けが)れをはらう」目的で水が使われますね。もっとも「ガンジス川の沐浴儀式」では、インド政府がガンジス川の水質調査をしたところ、場所によっては基準値の23倍の糞便性大腸菌が検出されたとか。宗教的な意味と衛生的な現実とは必ずしも一致していないので、あくまでも精神的な浄化でしょうね。
では「けがれ」と何か?と考えていくと、これまたいろいろと頭に浮かびますがなんといってもやはり「死」が一番の穢れでしょう。ですが同時に「水」に飲み込まれると人間は死んでしまうのですから、「死」と「生」という両義的な意味もあるし、場合によっては「死と再生」という意味合いも含まれていると思われます。
というわけで、飲み水からみぞぎの水、宗教の聖水まで、様々な「水」を見てきましたが、ところがどっこい「水」はもっともっと意味があるのです。
というわけで、2回目で終わるはずが、なんと次回は「水ー3」!
しつこくて、すいません m(__)m