こころの問題<5> 大切にさせたい「自分だけの世界」
みなさん、明けましておめでとうございます。昨年中は私のたわいもない話にお付き合いいただき、本当にありがとうございました。今年もできる限り、このコラムを書き続けていきたいと思っています。ただ、なかなか時間が取れなくなってきたのでゼイゼイハァーハァーと息切れを起こしながらも、何とか書き続けて行きたいのでどうぞ気を長くお持ちいただいて、よろしくお願いします。
元日と言えば・・・・
さて、今日は元日。元日と言えば「初日の出」。眠たい目をこすりながら、娘と二人で初日の出を見に行ってきました。別に元日だからと言って、特別な朝日が昇るわけではないのですが、なぜか元日の日の出は神聖な気持ちになるものです。周りには、私と同じぐらいの年齢の方もいれば、中高生や子供たちのような若い人たちもたくさん見受けられました。そういう人たちと一緒に初日の出を見ながら「なんでだろう?なんでこんなに元日の朝日は神々しく見えるのだろう?」と思いながら拝んでいたのですが、確かに私たちの心の奥底には今でも「神様」というものがいるようです。もちろん「○○神」とか「××信仰」とかいうものではありません。いわゆる「神なるもの」なのです。
昔の人は日々西に沈み、翌日東から姿を見せる太陽の様子を見て、「一度死んだ太陽が生まれ変わって東の空から姿を見せるのだろう」と思いました。太陽はそういう意味で、いわゆる「死と再生」の象徴(シンボル)だったのです。今でこそ、地球の自転が作り出した現象だと、科学的に理解しますが、昔の人はそんなこと知りません。「どうして太陽が西に沈むと暗い夜になるのだろう?あの海に沈んだ太陽が、なぜ反対方向の東からまた姿を見せるのだろう?西に沈んだ太陽と東から出てきた太陽は果たして同じ太陽なのだろうか?」といろいろと疑問に思ったことでしょうね。
人は自分を納得させるために「物語」を生み出す
それを確かめようとして太陽の沈んだ海に潜ってみたところでわかりません。また出てくるだろう東の海へと漕ぎ出てみても、海の底から太陽が出てくる姿を見ることもできません。人の力ではどうにも確かめられない世界のありさまを何とか納得できるように説明しようとして生み出されたのが、「物語」なのです。昔の人が人の力では確かめようもない自然の奇跡を「神のなす業だ」と思うしかない状況が目に浮かぶようです。
こうして昔の人は自分の力では確かめようのない世の中や自然のありさまを「神話」や「物語」で語り継いできました。そういう昔の人々の努力を笑うわけにはいきません。皆さんは太陽の動きは地球の自転によるものだ、と科学で説明できるじゃないか、と言われるかもしれませんが、実際にこの目で「地球の自転」を確かめた人が世の中に何人いるでしょうか。自分の目で確かめられないことを、何とか納得できるように説明しようという努力の結果生み出されたものが「物語」であるのなら、現代の私たちのほとんどの人が自分の力で見たこともないのに信じている「科学的説明」というものも、多くの人たちにとって「そう信じることで自分を納得させるための物語」だともいえるのです。
現代の人のこころにも「物語」は生きている
なんだか理屈っぽくなりましたが、「初日の出」に「地球の自転」を思い浮かべずに「神々しさ」を感じた私の心の中には、まだまだ「物語」が生きているのだな、と思いました。また初日の出を見るために暗いうちから集まったたくさんの若い人々の心の中にも「生きる物語」は綿々と受け継がれているのだ、と実感させられた元旦の朝でした。夕べに沈む太陽が朝には生まれ変わって新たな姿を見せるように、元旦の初日の出は「昨年までの古い自分や年月が去り、新たな新しい自分や新しい時の流れが始まるのだ」という意味で「死と再生」の儀式なのでした。そしてその儀式を執り行う「神」というものも考えずにはいられませんでした。
さてみなさん、新年初めてのコラムとしては思いのほか長くなりました。これに懲りず、どうぞ私のたわごとにこれからもお付き合いください。では改めて、「明けまして、おめでとうございます。新年もどうぞよろしく!」
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