ドキュメンタリー映画「徘徊」:認知症の母と娘の日々を描いた作品
今回取り上げた映画はこれ
岡山県にある外来の精神科診療所「こらーる岡山」に通院するさまざまな人たち。
そこには「病」と共に生きる人、そしてその隣には「病と共に生きる人」と共に生きる人たちがいます。
山本医師はそこに集まる人たちに淡々と、しかし同じ目線で隣にたたずむように診察を続けられていました。
この映画の監督想田和弘さんは、何の解説も加えずにその様子を冷静に撮り続けています。
「観察映画」といわれる所以です。
◆ある男性患者さんは
“世の中に精神病者に対する偏見があるのは仕方がないけれど、せめて自分で自分に対する偏見は持たないようにしたいと思った”
こう語る男性がいました。彼はこう続けます。
“自分の病気が軽くなって病識が出てくるようになると、健常者のことが見えるようになってくるんですが、そしたら健常者の中に問題のない、完璧な他人なんて一人もいないんですわ。じゃあ、自分はそういう健常者といわれる人たちの欠点を補っていくような働きをしようとこれまで生きてきました”
「正気」と「狂気」の違いは何なのでしょう?
◆また別の患者さんは
ある女性はうつ病に苦しみながらも生きてきたこれまでの自分の生き様を見つめて、次のような短歌を歌います。
“あたまなぜ 自分で自分をほめてやる よくぞここまで生きてきたな、と”
またある男性は、
“憂う人と書いて、優しいと読む”
と教えてくれました。
彼は本当に優しい笑顔で周囲の人を楽しませてくれます。
もちろん、その笑顔の裏には彼の苦しみが渦巻いているのでしょうが・・・。
◆山本医師は淡々と彼らの隣に居続ける
リストカットの目立つ手首を隠そうともせず、人に裏切られたと大量服薬し、泣いて訴える女性。
映画の冒頭で、その女性の苦しみを淡々と聞きながら、山本医師はティッシュを1枚手に取りました。そのティッシュを彼女に渡すのかと思ってい見ていると、山本さんはそうしませんでした。
しかしそのティッシュの箱は女性の手の届くところに置かれていたのです。その女性には、自分の力でティッシュを引き出して、涙を拭くことが必要なのでしょう。
しかしその日が来るのはいつなのだろうか、と思わされたのも確かでした。それがいつなのかはわからないけれど、その日が来るまで一緒に待つことが大切なのかも知れません。
この映画はこういうさまざまな苦しみと共に生きる方々の素顔と、その方々と共に居続ける人たちの姿を淡々と写し続けたドキュメンタリー映画なのです。
◆最後に
ところが私は最後のエンドロールに、目を奪われました。
そこには「追悼」と言う文字があり、その下に今取り上げた何人かの方々の名前と写真が載せられていたのです。
何があったのかはわかりません。しかし亡くなったことだけは確かでした。
・・・・・・・・・・・
時にはもうこの世から消えてしまいたい、と思えてしまう時があるかもしれません。
しかし、人はやはり一人ではないということを思い出して下さい。
孤立無援、孤独と絶望の中にいると思われたとしても、最後まで自分の隣に居続けてくれる人を探す努力をして見ませんか?
◇◆◇ こんな映画も
あやしうこそものぐるほしけれ 映画 「17歳のカルテ」
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