マナーうんちく話502≪会話の中に季節の話題を積極的に!≫
桜前線が気になる頃になりました。
オーバーツーリズムの多大な影響もあって、花鳥風月が感じられなくなった昨今ですが、風情豊かな花見文化だけは残したいものですね。
なぜなら、桜は稲作文化で栄え、米を主食にしている日本人にとって特別な存在だからです。
「春告げ草」の異名を有し、清楚な感じがする梅とは対照的で、その見事な咲きぶりはまさに日本の国花に相応しい花と言えますが、もとは山の神様と縁が深い花ということです。
サクラの「サ」は山の神様で、「クラ」は神様が鎮座されるところです。
桜が咲く時期になると山の神様は、山から里に下りてこられるわけですが、その際、桜の木を依り代にされます。
だから桜が開花したら、村人たちは山の神が帰ってきたと考え、ご馳走や酒を持参し、桜の木を囲んで宴を開き、山の神様をおもてなしします。
そして山の神を里にお連れして、こんどは「田の神」になっていただき、これから始まる田植えが無事終了し、豊作になるようお願いします。
つまり今の花見は「豊作祈願」の神事だったわけで、その痕跡は各地で見られます。
ちなみに旧暦では5月は「皐月」ですが、「早苗月」の意味です。
早苗を植える月ですが、その早苗を植える乙女を「早乙女」と呼びますが、早乙女は田の神様をおもてなしする役目があります。
早苗の「サ」も、「早乙女」の「サ」も、桜の「サ」も同じ意味ということです。
昨年から米の値段が大きな話題になりましたが、花見は稲作文化で栄えた日本生粋の伝統行事であり、米を単に経済的側面からのみ捉えないでいただきたいものです。
これらの意味を正しく理解していただいたうえで、米の価値を見直すとともに、花見もさらに有意義なものにしていただけたらと思います。
●武士の鑑とされた見事な咲きぶりと潔い散りざま
奈良時代に編纂された万葉集に登場する花は沢山ありますが、一番多く詠まれている花は秋を代表する「萩」で、二番目は中国から伝来した「梅」で110首ありますが、桜は非常に少なく43首です。
このことから、かつて花見といえば「梅見」を指したといわれています。
では当時の人は桜に興味がなかったかといえば、そうではなく、当時は中国伝来の物に大きな価値が置かれたのではないかと思われます。
またその頃の貴族は自分の屋敷に梅を植え、それを愛でるのがステータスだったとか・・・。
ただ平安時代の古今和歌集になると、梅より桜の方が多く詠まれ、さらに新古今和歌集になるとこの傾向はさらに広がってきます。
勿論その当時の桜はソメイヨシノではなく山桜のようなものが多かったと思われますが、花見が梅から桜に変わったのは武士が台頭するようになったことが大きいといわれています。
大変華やかであり、散り際が誠に潔いことが武士階級に受けたようですが、人生に重ね合わせることも多いですね。
また散り際の潔さは武士の最後の姿に例えられることも多く、著名人の辞世の句にも多く登場します。
《花は桜木 人は武士》という言葉があります。
桜の散り際の見事さと武士の死に際の潔さを表現していますが、現代に通用するか否かは別です。
また赤穂浪士で有名な浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が、切腹を命ぜられたときに詠んだとされている辞世の句に「風さそう 花よりもなお 我はまた 春の名残を いかにとやせん」があります。
吉良上之介に対し、松の廊下で刃傷事件をおこし、元禄14年3月14日に切腹を命じられた際に詠んだとされる句で、「忠臣蔵」では必ずと言っていいほど演じられるシーンです。
切腹の時に、桜の花びらが散るシーンは他にもいろいろとみられますが、命の終わりの象徴として桜の花を散らしたのでしょう。
身分制度もなく、何もかも豊かになった現在の日本では、3月14日はホワイトデーとして西洋由来のイベントを楽しんでいますが、320年くらい前には、このような悲惨な出来事が起こっていたのですね。
わずか数え年で35歳の殿様が、なぜこのような悲惨な出来事が起こしたのか?
勅使の饗応役(おもてなし係)として、しきたりや作法に手抜かりがあったのではという説や、金銭が絡んでいるのではともいわれていますが、事実が解明されることを願っています。
改めて、四季が豊かで風物を愛でる文化があり、自然への感受性が高く、平和で、長寿で、物が豊かな時代に生まれ、世界に先駆けて「人生百歳時代」を生きることに感謝です。
そして最近特に政界で指導的地位にあった人の不祥事が目立ちますが、その潔い去り方を見る機会はあまりありませんね。
少しは武士の潔さを参考にしたらいいのにと思うわけです。
しかし、桜はあくまで凛と咲いていてこそ美しいものです。
人もまた、生き抜いてこそ人としての価値があるものだと考えます。
いつまでも自立し、生涯現役としたいものです。



