マナーうんちく話453≪冬来りなば春遠からじ≫
明けましておめでとうございます
1月の和風月名は「睦月」ですが、これは厳寒の中、今年も無事正月を迎えられたことを家族や親族が仲睦ましく喜び合うからだといわれています。
互いに行き来しながら、親睦を深めるという意味もあります。
何かとあわただしい現代では、松の内を過ぎると正月気分も薄らいで行きますが、かつては11日の「鏡開き」、15日の「小(女)正月」、20日の「二十日正月」、さらに2月初めの「立春」まで続いたとか・・・。
また1月は「初春」とも言いますが、これは明治5年まで全国津々浦々で使用されていた旧暦では、正月と立春が殆ど同じ時期だったからです。
年賀状の賀詞にも「初春」という言葉がありますね。
寒い最中ですが、早い所では梅もほころび始めています。
春に向けて前向きに歩みたいものです。
今年も《マナーうんちく話》をよろしくお願いいたします。
ところで、正月になると至る所で「明けましておめでとうございます」という挨拶が交わされますが、では一体全体なにがおめでたいのでしょうか?
私が担当する講演やセミナーなどでも、年末になるとほぼ毎回参加者に、このことをお尋ねしますが、明確な答えが返ってくることはまずありません。
学校でも家庭でも職場でも学習することがないので、無理もないでしょう。
あまり深く考える必要がないといえばそれまでですが、この言葉に含まれている意味が解れば、また挨拶にも重みが出てくるのではないでしょうか。
日本は国としての歴史は非常に長く、また年中行事も非常に多い国だといわれています。
その中でも正月は特に長い歴史を有し、お目出たい行事であり、かつて、厳粛な農業の神祭りで、とても大事なお祝いの日だったわけです。
ちなみに「正月」は、年神様が里帰りされるにあたり、歳神様をお迎えし、おもてなしして、お見送りする一連の行事です。そして「正月」とは、一年の最初の月であり、本来は1月31日までを意味しています。
では「年神様」とはどんな神様かといえば、歳神様は穀霊や先祖霊の集合霊と捉えて頂ければいいと思います。
その年神様が宿る場所が「鏡餅」です。
だから鏡餅には歳神様の霊力が宿っているわけですから、1月11日の鏡開きの日に、それをいただきパワーアップするわけです。
従って「鏡餅」は作って、お供えして、食べて、初めて意味を成すわけですから、鏡餅は食べることをお勧めします。
このように「おめでとうございます」という言葉は、新年早々、各家庭に里帰りされる歳神様に対する感謝の言葉であり、歓迎の言葉であり、祝福の言葉であり、お願いの言葉と言えると思います。
年神様「今年もお戻りくださいましてありがとうございます。今年も家族が健康で、五穀が豊かに実りますよう、よろしくお願いいたします」と、お礼を述べ、お願いしたわけです。
それぞれのお家に歳神様がやってこられて、福を授けてくれるわけですから、それを掃きだしてしまうのはもったいないので、元日は掃き掃除はしないという風習があります。
昭和24年に「年齢のとなえ方に関する法律」が制定され、それまでの「数え年」から「満年齢」に移行しました。
今では個人の誕生日に重きが置かれていますが、昭和24年までは数え年ですから、正月になると全ての人が一斉に一つ年を取ったということです。
数え年は、生まれた時点ですでに一歳で、正月になると歳神様から皆平等に一歳年を頂戴するわけです。
「年は取りたくない」なーと言いますが、実は年は取るものではなく、歳神様から有難く頂戴するモノだったわけですね。
昔は家でも小さな餅を、沢山作り、それをみんなで分け合っていました。
その餅には霊力が宿っているので、それをいただくことで「年魂(としだま)」をいただき、年齢を一つ頂戴すると考えられていたようです。
従って今年も、お年玉として互いに年神様から年を頂いたことを、「おめでとう」と言い合ったのかもしれませんね。
日本では、本来「おめでとう」という言葉は、祝いの言葉であり、新しい命の誕生及び息吹を表現する「お芽出度う」に由来しています。
今でこそ日本は世界屈指の長寿の国であり、人生百歳時代を世界に先駆けて達成していますが、恐らく昔の平均年齢は30年から40年くらいだったと思います。
昔と今では一年の重みが違うということです。
だからこそ寒い中、無事新年が迎えられた喜びは大きかったのでしょう。
そして「生きることはまさに食べること」だったので、五穀豊穣への願いは強かったと思います。
「明けましておめでとう」の意味は、西洋の「ハッピーニュイアー」に比べると、大変大きな意味を有していたのではないでしょうか。
今年もよろしくお願いいたします。



