マナーうんちく話569≪泥より出でて、泥に染まらず≫
暦の上で冬は、木枯らしが吹き始め日差しが日に日に短くなり、冬の気配が感じられるようになる「立冬」から立春の前日までですが、今年は早くも11月3日に東京や近畿地方で木枯らしが観測されましたね。
この時期に吹く北寄りの冷たい風は、木々の葉を散らしてしまい、気を枯らしてしまうように思えるので「木枯らし」と呼ばれますが、その季節に最初に観測される風速8メートル以上の北寄りの風が「木枯らし1号」です。
「そろそろ冬らしい天気になりましたよ」というお知らせです。
そしてより寒さが進み、山々の鮮やかな紅葉がだんだんと色褪せ、冬枯れの様子が目立つようになり、街中にも小雪(こゆき)が舞い散るようになるわけですが、11月22日は二十四節気の一つ「小雪(しょうせつ)」です。
雪は積もるほどではなく舞い散る程度ですから「小雪」と呼ばれますが、白菜や春菊などの葉物野菜がおいしくなり、鍋料理が恋しくなる頃でもあります。
また冬支度に勤しむ時期でもありますが、この時期には忘れ去ってしまうには、あまりにも勿体ない素晴らしい風習や季節の言葉があります。
●この時期だけに使用される「小春日和」
「小春」とは旧暦の10月の異称で、現在では11月から12月にかけての晩秋から初冬になります。
この時期、移動性高気圧に覆われると、まるで春のように陽気な天気になることがありますが、この穏やかな晴天を小春日和と言います。
他の季節で使用することはありませんので、くれぐれもご注意くださいね。
●哀れで物悲しい意味を持つ「返り花」
この季節の言葉に「返り花」がありますが、ご存じでしょうか?
《凩(こがらし)に 匂ひやつけし 返り花》(芭蕉)
小春日和に狂い咲きした花を「返り花」と呼びます。
人が忘れた頃に咲くので「忘れ花」ともいいますが、桜や梅や躑躅のような草木も、春が来たと勘違いしたのでしょうか。
小さな春を感じて二輪、三輪とけなげに咲いた花をよく見かけますね。
こちらは何とも微笑ましく感じますが、実は返り花には別の意味もあります。
《マナーうんちく話》で江戸時代の「遊女」の暮らしを何度か取り上げましたが、返り花には身請けされて自由になった遊女が、何らかの理由で再び遊郭で働くようになる意味もあります。
ちなみに「身請け」とは、客がお気に入りの遊女を指名して、身柄を高額で引き受けることです。
ただ、この恩恵を受けることができる遊女は、才色兼備で幸運に恵まれたごく一握りだけで、多くの遊女は過酷な労働環境下での生活を余儀なくされたと思います。
従って「返り花」には、今の日本では考えられませんが、なんだか哀れで寂しい気持ちになりそうな言葉の意味も含まれているということです。
●心がほっこりする「木守柿」
熊の出没が頻繁になり、各地で柿が大変な目にあっていますが、昔は木守柿(こもりがき・きもりがき)の風習がありました。
この時期は柿が最盛期を迎えていますが、柿をすべて収穫するのではなく、数個残して鳥に与える風習です。
自然の恵みを人間だけが独占しないで、他の動物にも分け与えるという優しい心遣いを感じさせてくれます。
また柿が再生し、来年も豊かに実って欲しいという願いも込められていますが、持続可能な社会の実現の観点からも、とてもいい風習だと思います。
ただ最近は超高齢化のせいで、柿が実っても収穫できない場合も多々あり、皮肉な現象が起きています。
●月見より収穫に感謝する意味が強い「十日夜」
11月の第3木曜日はボジョレー・ヌーボーの解禁日で、日本でもすっかり定着していますが、この時期収穫に感謝し、来年の豊作を祈願する「十日夜(とおかんや)」という行事があります。
十日夜とは旧暦の10月10日の夜という意味ですが、この日は「刈り上げ祝い」といって収穫祭を行う日で、田んぼの神様が豊作を見届けて、山に帰る日といわれています。
日本には秋を素敵に彩る「三つのお月見」があります。
十五夜と十三夜と十日夜ですが、十五夜と十三夜はお月見が主体ですが、十日夜はお月見がメインではなく収穫祭の意味合いが深いです。
地域によって多彩な行事がありますが、案山子上げをする地域もあります。
●新米は神様ファーストの「新嘗祭」
11月23日は「新嘗祭(にいなめさい)」・「勤労感謝の日」です。
「新嘗」とは新しい穀物を口にする意味があるようですが、稲作を中心とした農耕文化で栄えた日本にとっては大変重要な行事で、飛鳥時代から執り行われていたといわれています。
米を始め、その年に収穫された農作物をお供えして感謝をささげる祭りです。
宮中だけでなく、民間でも行われており、昔は新嘗祭が終わるまで新米を口にしなかったといいます。
この日は、国民が互いに感謝し合う「勤労感謝」の日でもありますが、神様への感謝も大事にしたいものですね。
「十日夜」にしても「新嘗祭」にしても、その年の収穫を喜び、感謝し、また来年の豊作を祈願する日本人にとっては大変大事な行事ですが、最近はハロウイーンやボジョレー・ヌーボーにおされ、その存在が忘れ去られてしまっています。
米の高騰が続いて、備蓄米や輸入米に頼るということが、どのような意味を持つのか?
瑞穂の国という美称を有し、米を主食にして生きてきた日本人にとって、米の文化を今一度思い起こしたい時期に来ているような気がします。



