マナーうんちく話569≪泥より出でて、泥に染まらず≫
突然ですが「桐一葉(きりひとは)」という言葉をご存じでしょうか。
桐は箪笥の材料になる貴重な木ですから、昔から日本人にはなじみが深いわけですが、葉っぱが非常に大きく、落葉するのが早いのが特徴です。
《一葉落ちて天下の秋を知る》という有名な諺があります。
平安歌人の藤原敏行は、爽やかに吹く風で秋の訪れを察していますが、この言葉は存在感のある桐の大きな葉が落ちたので、秋の訪れを知ることができたという意味です。
ほんのわずかな前触れで、良いことも、悪いことも予兆できる意味で使用されますが、酷暑の疲れが出やすい時期です。
体調の変化を感じたら、早めの対策を心がけ、元気でお過ごしください。
ところで9月の声を聞くと新米が楽しみになってきますが、9月の始めの七十二候は「処暑」の末候の「禾乃登(こくものすなわちみのる)」です。
禾(のぎ)は穀物の穂先の「毛」で、稲が実り始める頃です。
日本は東西に細長い国ですから地域によりかなり異なりますが、早い所では稲が黄金色に色づき首を垂れる頃です。
既に新米が店頭に出ているところもありますが、稲刈は、ほとんどの地域では、まだ先になります。
品種や地域により大きく異なるということです。
そしてこの時期は雑節の一つ「二百十日」と重なる頃で、台風には充分警戒が必要です。
また旧暦8月1日は「八朔(はっさく)」ですが、「頼み」と「田の実節句」をかけた言葉です。
早稲(わせ)の初穂を台風が来る前に神様に捧げ、台風除けと豊作祈願をするわけで、今でもその伝統を受け継いだ行事が多々あります。
昨年の9月に越中富山の「おわら風の盆踊り」を見物してきました。
台風の余波で開催が心配されましたが、ちょうど私が行ったときは少し遅れただけで開催され、とてもラッキーでした。
夏の果てというか、秋の到来を感じるこの踊りは300年以上の伝統があり、越中おわら節の歌に合わせ、情緒豊かに街を流していく姿は、大変優美な趣があり期待どおりでした。
伝統を守り続けるということは資金面でも、後継者の育成面等でも大変な努力が必要だと思いますが、ぜひいつまでも続けて欲しいと思います。
ところで日本には夏の暑さを表現する言葉が沢山ありますが、酷暑、猛暑、激暑、炎暑、大暑等全ての漢字が該当するような暑い夏でしたね。
我が家の畑の野菜もほぼ壊滅的でした。
自然と共生し、繊細な感性で自然に感謝し、畏敬の念を忘れなかった日本でこのような現象が今、現実に起こっていることに危機感を持たなければいけないのではないでしょうか。
恐いのは物理的な面ばかりでなく、日本人の精神性にも多大な悪影響をもたらすということです。
日本は世界屈指の四季が豊かな国です。
つまりほぼ規則正しく、3か月ごとに春・夏・秋・冬の季節が巡ってくる国ですが、その形が大きく崩れてきています。
由々しき事態です。
これに加え国際化の進展やデジタル化の加速等で、今では季節を愛でる豊かな感性が希薄になってしまった感があります。
日本の心が次第に影を潜めているということです。
そして最も恐ろしいことは、日本全体がそれに慣れてしまうことです。
「二百十日」や「二百二十日」を機会に、今の物質的豊かさの暮らしが本当にいいのか?環境を破壊してまで物質的豊かさを追求する必要があるのか?
自然と日本人のかかわり方についてしっかり考えていきたいものですね。
国会での議論が統一教会、裏金問題等で明け暮れ、本当に大事な議論がおろそかになっては困りますね。
そのツケは、いつかはやってきます。
桐の大きな葉っぱが例年より早く落ちれば、大変なことが起こるかも・・・。
9月の和風月名は「長月」ですが、長月とは「夜長月」の略で、これからは夜が長くなり、しっかり時間がとれそうです。
戦争の事も、環境の事も令和の今、真剣に考え、具体的な対策を講じる時が来ています。
大事なことは、人にも、自然にも思いやりの心を素敵に発揮することです。
マナーの本当の存在意義はここにあると考えます。



