まなーうんちく話798《月々に 月見る月は 多けれど・・・。》
嬉しいことや喜ばしいことがいくつも重なると「盆と正月が一緒に来たよう」と言います。
昔の奉公人は年中いそがしく働いており、盆と正月しか休みが無かったので、盆と正月が一緒に来ればその分、休みが多くなり嬉しいわけです。
また普段は会えない親族一同が、盆や正月になると一堂に集まるので、充実した日になります。
さらに先祖供養のお盆や新年を迎えるお正月には、多くの行事があり、それらが重複すると、余計に忙しくなるという意味もあります。
それくらい「お盆」と「お正月」は、日本人にとって大事な行事であり、ある程度の事は知っておきたいものですね。
●日本人は実に多くの神様に囲まれて平穏な暮らしができている
日本は昔から「八百万の神(やおよろずのかみ)」の国といわれ、山にも川にも岩にも木にも、そして身の回りの物にも神様がいます。
だからITやAI万能の今でも、安産や病気回復や合格祈願など、人生に起こる多くの出来事に対して神様にお願いします。
AIやITに対し安産祈願や合格祈願をする人はいませんね。
また、それぞれの神様は実は名前を持ち、素性を有しています。
●お盆の由来① 「先祖の神様をお迎えし、おもてなしするお盆」
昔から日本人は、祖先や先祖を神様として敬ってきました。
「祖先」とは「人類の祖先」とか「哺乳類の祖先」というように、大変広い範囲を示しますが、「先祖」は一族や個人の家系に属する過去の人を指します。
そしてすべての人にとって、例外なくご先祖様はいます。
数えきれないくらいのご先祖様が存在し、今あるのはそのお陰です。
ご先祖様は亡くなって間がない場合(一般的には33年とされているようです)は個別に供養されますが、その後はそれまでの数えきれないご先祖様とともに「祖霊」と呼ばれる神様になります。
日本には年に二回、つまり夏と冬にご先祖様をお迎えし、供養するお祭りが行われ、冬は「お正月」、夏は「お盆」と呼ばれます。
つまり日本のお盆は、先祖の神様である「祖霊」をお迎えし、おもてなしし、お見送りする一連の行事ということです。
●お盆の由来②「お盆の仏教行事による正式な名称は盂蘭盆(うらぼん)」
お盆は正式には「盂蘭盆」と呼ばれますが、インドの言葉である「ウランバナ」からきた言葉で、「逆さまに吊り下げられる苦しみ」という意味です。
お釈迦様の弟子の一人である目連(もくれん)が、神通力で、亡くなった母が飢餓道に落ち苦しんでいるのを見て、母を助けたい一心で、その術をお釈迦様に尋ねました。
そこで、多くの供物を《お盆》に盛り、僧侶を招いて供養するよう教わり、7月15日に霊を供養し、母親を救ったという説があります。
ちなみに「お盆」といわれるゆえんは、供物を盛るお盆からきているという説があります。
●日本の習わしとインド発生説が合体して今のお盆になった
千年以上の長い歴史を有するお盆の起源についてですが、今となっては明確に断定することは大変難しいと思います。
恐らく、日本の先祖供養のしきたりの中の「夏の行事」と、「インド発生説」が仏教伝来とともに合体して、現在のお盆になったのではないでしょうか。
このようなケースは、日本の伝統行事の中では珍しいことではありません。
「桃の節句」や「七夕」などはその典型的な例だとおもいます。
またお盆は、今ではほとんどの地域で、月遅れの8月に行なわれますが、8月13日に迎え火を焚いてご先祖の霊をお迎えします。
我が家では畑で取れた茄子と胡瓜で「牛」と「馬」を作り、玄関にほおづきや秋の七草などを活けお迎えします。盆提灯も用意します。
そして15日の夕方に、近くの小川で灯篭を流してお見送りします。
残念ながら、このような一連の行事は私が済んでいる地域では、数件でしか見られなくなりました。
●お盆は家族の絆を深める行事
多くのご先祖様が一年に一度、実家に里帰りされるわけですから、心を込めてお迎えし、おもてなしすることが大切だと思います。
また今でも、できる限り親族が多く集まり、故人をしのんで語り合い、互いの絆を深めることに、お盆の意義があると考えます。
お迎えする際の「盆花」や「迎え火」、さらに精霊棚へのお供えや、お見送りする際の「送り火」などは、事情に合わせて行えばいいと思いますが、ご先祖様に感謝をささげ、家族や親族一同の心を合わせることが大事ではないでしょうか。
心を合わせるとは、支え合い、助け合うことです。
家族だからこそ、損得なしでそれができるわけです。
ちなみに「盆」という漢字は「皿」を「分ける」と書きます。
皿には嬉しい事、楽しい事、喜ばしい事、また辛い事、苦しい事、悲しいことなどが含まれます。
旅行もいいと思いますが、盆の意味や意義をもう一度よく考え、家族の絆を深めるのもお勧めです。
祭りは地域の絆を、盆や正月は家族・親族の絆を深める大事な行事です。
意味や意義を正しく理解し、次世代に残したいものです。



