マナーうんちく話453≪冬来りなば春遠からじ≫
●若くて青い美しさの「青田」
一点の 偽りもなく 青田あり(山口誓子)
例年の事ですが、我が家の近所の水田には、燦燦と照りつける強烈な日差しのもと、青々と成長した伸び盛りの稲が広がっています。
この時期の田んぼは大変綺麗で、水とさらに丈を増した緑の稲の穂が、日本の田園風景ならではの美しい光景をかもしだしています。
「緑は目によい」といわれますが、夏の田んぼの緑は格別で、身も心も心地よくなる気がします。
米の輸入が話題になっていますが、日本人にとって主食のコメは、日本の田んぼで育ったものがいいですね・・・。
なんといっても、日本人にとって田んぼは「宝⇒田から」です。
●接客・接遇に活かしたい禅語「星河清涼の風」
今の季節に相応しい禅語の言葉に「星河清涼の風(せいかせいりょうのかぜ)」があります。
星河は天の川や銀河を意味し、星空を眺めていると、涼しい風が吹いてきて、身も心も清々しい気分になったという意味です。
都会のネオン街では無理かもしれませんが、水田に囲まれた、空気が綺麗な山里では、ふとしたことで、大自然が自分だけのもののように感じ、心がおおらかになることがよくあります。
ただこの言葉は、「マナーうんちく話 利休七則」の中の、「夏は涼しく冬暖かく」というくだりに通じるものがあります。
暑い夏には路地などに打ち水をして涼を演出し、寒い冬は炭を焚いて暖をつくる。
つまり、常に相手を思いやり、心地よい空間を提供するということです。
ちなみに当時の日本人の自然に対する考えは、自然に逆らうのではなく、むしろ自然の中に身を置いて、自然と人が融和して生きるという、日本人の美意識が存在していたのでしょう。
従って現代のように「自然に優しく」というように上から目線ではなく、自然に優しくしていただいているという謙虚な心が備わっていたように思います。
日本庭園は西洋の噴水のように人の力で水を上にあげるのではなく、自然の摂理に従って上から下に流れていますね。
●米の凶作が発端になった!慰霊の意味を有する「日本の花火」
日本の夏といえば「花火」や「盆踊り」がおなじみですが、実は日本の花火の由来は単に「楽しいから」「綺麗だから」ではなく、いろいろな歴史や思いが込められています。
「慰霊」や「盆の迎え火・送り火」「復興」などです。
江戸時代には全国的な飢饉が35回あり、中でも今から約300年前に発生した、江戸4大飢饉の一つとされている「享保の飢饉」は多くの犠牲者が出ています。
冷夏とそれによるウンカの大発生が原因とされていますが、米の凶作による飢餓で、死者が12000人以上、200万人以上が苦しんだといわれています。
さらに疫病が発生し、日本全体が窮地に陥りました。
そこで犠牲者を供養するためと厄除けの意味も込めて、徳川吉宗は翌年、両国の川開きで水神祭を行い、花火をうちあげたのが、日本の花火大会の起源というのが定説になっているようです。
科学が未発達だった当時は、災害などに遭遇したら、厄除け祈願が頻繁に行われていたのでしょう。
ただこれが江戸っ子にとって久しぶりの明るい話題で、希望の灯になったといわれていますが、今ではすっかり大きな娯楽行事になっていますね。
相変わらず米の高騰が続いていますが、今のように食料が豊富でなかった江戸時代には、何度も災害や天候不順や病虫害の発生等による米や農作物の凶作で、多くの人が飢餓状態に陥り、現在とは比較にならないくらい苦しんでいます。
そのような状況下で、祭りごとに携わる人や商人が、私財を投げ出して貢献したという話は数多くあります。
いわゆる美談です。
苦しく、貧しい時代でありながら、世のため、人のために尽くす人が多くいたのでしょうね。
●これくらいは知って欲しい「夏の土用」のお話
「マナーうんちく話」で何度も触れていますが、「土用」とは古代中国の五行思想に基づく季節の変わり目で、四立(立春・立夏・立秋・立冬)の直前18日間です。
陰陽五行説では、宇宙は木・火・土・金・水から成り立っていると考えられており、春は「木」、夏は「火」、秋は「金」、冬は「水」が支配し、各季節の終わりが「土」が支配するとされています。
そして「土用」の最終の日は、季節の変わり目である「節分」になります。
ところで「夏の土用」は毎年7月20日頃から8月7日頃ですが、令和7年は7月19日(土)から8月6日(水)までです。
そしてその間の「丑(うし)の日」が「土用丑の日」で、令和7年は7月19日と7月31日です。
つまり令和7年の夏の土用の丑の日は2日あるということです。
また夏の土用は、鰻を始め、うどん・うり・梅干しなど「う」のつく食べ物を食べたらよいといわれますが、春の土用はいも・いわし・いかなど「い」のつくもの、秋の土用は蛸・大根・玉ねぎなど「た」のつくもの、冬の土用はひじき・ひらめなど「ひ」のつく食べ物がよいとされています。
今でも日本の暦には「二十四節気」や「七十二候」や「五節句」のほか、「雑節」がありますが、二十四節気や五節句はどちらかといえば公家や武家の生活になぞらえたものが多いようです。
これに対し、当時圧倒的多数を占めていた、農業従事者の生活スタイルに合わせたのが「雑節」です。
ただ「土用」の日に鰻を食べる風習は大変古くから存在し、奈良時代の歌人大伴家持は「石麻呂に 吾れものもうす 夏痩せに よしというものぞ 鰻とり食せ」と詠んでいます。
この様に夏バテ防止対策として鰻を食べる習慣は、すでに奈良時代には存在していたようですが、ただ味醂や濃い口しょうゆが誕生したのは江戸時代になってからですから、奈良時代には荒塩、味噌、山椒、酢などで食べていたのでしょうかね。
●暦の上では最も暑い大暑
7月22日は二十四節気の一つ「大暑」です。
土用と重なり、暦の上では一年で最も暑い時節ですが、連日が暑いので、あえて意識する必要もなさそうですね。
私は6月頃から畑と花壇の水やりに追われていますが、異常な暑さが続く、こんな時期でも《新芽》を出す植物があります。
「土用芽」と言います。
人はクーラーの中で過ごしている中、植物は炎天下の基でも必死に生きようと努力しているのでしょう。
科学の進歩とともに、植物の様々な能力が明らかにされてきています。
人も負けてはいられませんね。
7月は納涼花火大会やビアガーデンなどで賑わいますが、昔は冷たい生ビールもクーラーも扇風機もありません。
従って夏の涼の取り方も大きく異なっていました。
浴衣や打ち水もそうでしょう。
●邪気払いが目的だった「風鈴」
さらに「風鈴」の音色が暑さをやわらげ、涼しさをよんでくれます。
風鈴の起源は、お寺の四隅に、青銅の風鈴が邪気払いの目的で吊り下げられたのが始まりといわれています。
来客を迎える際の「打ち水」や「風鈴」も、もとは邪気払いが目的だったとは意外ですね。
やがて風鈴は、魔除けから涼を楽しむ役割を果たすようになり、江戸後期になるとガラス製なども登場し、暑気払いの小物として広く愛用されるようになったのはご承知の通りです。
異常ともいえる今の暑さには焼け石に水になるかもしれませんが、たまには「打ち水」や「風鈴」で、心に心地よい涼をとるのもいいかもしれませんね。
元気でご活躍下さい。



