マナーうんちく話544≪薔薇で攻めるか、それとも恋文か?≫
田んぼの稲が緑を一段と濃くする中、今年も「蓮の花」が咲く頃になりました。
一年を72に分類した「七十二候」では、7月12日から16日までが「蓮始めて開く」で、蓮がゆっくり蕾を解き綺麗な花を咲かすときです。
蓮は「泥より出でて泥に染まらず」という言葉の通り、その清楚で清らかな姿は、数えきれないほど多くの人の心を和ませてきました。
そしてその無言の教えは、蓮を静かに鑑賞しているだけで心が洗われる思いです。
この時期には全国各地で「観蓮会」が行われますが、その起源は相当古く、最初に「観蓮」をした人は、楊貴妃とともに中国の4大美女の一人とされる越の時代の西施だといわれています。
日本でも弥生時代から続いているようですが、長年にわたり、これほど多くの人を魅了し続けてきた花も珍しいのではないでしょうか。
いつの世も、人のためになる、人に喜んでもらえるということは実に素晴らしいことですね。
ところで、明治5年から昭和16年まで日本の初等教育の教科にもなっていた「唱歌」がありますが、これが戦後になっても引き継がれ今なお、子どもから高齢者にいたるまで愛唱されている歌は多々あります。
中でも日本人なら誰もが親しみを持っている唱歌の一つに「ふるさと」があります。
兔追いし彼の山、小鮒釣りし彼の川・・・。
令和の今、兎を追いかけた記憶がある人は非常に少ないと思いますが、今から約130年前に生まれた尋常小学校唱歌で、自然が豊かな情景とともに、郷愁を誘うメロディーが心にしみる曲ですね。
また「働き方改革」が叫ばれる今では見る影もなくなりましたが、今から60年前頃には「集団就職」という雇用の形態がありました。
「金の卵」と呼ばれた地方の中学校や高校の卒業生が、大都市の企業などに集団で就職するわけですが、「集団就職列車」が運行されていました。
戦後の復興期といえる当時は、現在のような選択肢はなく、生きていくのが精いっぱいのような時代です。
若くして故郷を離れる寂しさは多分にあったと思いますが、ふと夕焼けの景色を見上げた時に、何とも言えない郷愁の念にかられたのでしょう。
ふるさとに家族や親友たちを残し、大都市に出てどんな夢を求めたのでしょうか。
誰しも大なり小なり夢を抱き、またそれを叶えるために、多くの苦労も努力も経験したと思います。
ちなみに、ふるさとの唱歌の3番には「志を果たして、いつの日にか帰らん・・・」とあります。
志を持つことはとても大切です。
ただ、その思いをなぜ持つのかと?いう動機付けがより大切だと思います。
「志」をもつということは、そういうことではないでしょうか。
大臣になって多くの国民を幸せにするとか、医者になって多くの人の命を助けたいとか、大工になって快適な住まいを提供したいとか、農業に携わり体に優しい野菜を作りたいとか、まさに志は10人10色でしょう。
自分が抱いた志を、多種多様な困難を乗り越えて、叶え、多くの人をハッピーにすることは大変立派だと思います。
志を果たして良かった、良かった!ではなく、もう一歩突き進んで、故郷に帰り、今までお世話になった両親や近所の人や恩師などに、精いっぱい感謝の気持ちが表現できれば最高ですね。
この世のため、人のためにつくす行動が、百歳時代を豊かに生きる源泉になるのではないでしょうか。
個人差も大いにありますが、年を重ね、人生経験を積めば積む程、世俗的な価値観は薄れ、感謝や利他の心を抱きやすくなってきます。
そして、この傾向は苦労を重ねてきた人ほど強まるといわれています。
蓮の花は泥の中でも、泥に染まることなく、むしろその泥から養分だけを吸収し、清らかな花を咲かせたのでしょう。
「徳の花」として、多くの人に尊ばれ愛されてきまた所以だと思います。
遠慮なしに襲い掛かってくる幾多の苦難も、それを克服すれば、最悪の環境の中においても、飛躍できる原動力になります。
だからこそ、唱歌「ふるさと」が、100年以上も日本人の心を魅了し続けてこられたのではないでしょうか。
くれぐれも欲に染まって「悪徳代官と悪徳商人」のような関係にはならないでいただきたいものです。
難しいことではありません。
人をだまさない、人に嘘をつかない、誠実、真面目、正直といった道徳観や倫理観を常に大切にして下さい。
マナーの見地から言えば、常に思いやりの心を持つということです。