マナーうんちく話2229《気軽に楽しみたい飲み会やお酌文化とその効能》
令和5年9月20日は「彼岸の入り」で、23日は「彼岸の中日」、そして26日が「彼岸明け」です。
やや小ぶりの「おはぎ」を用意される人も多いと思います。
3月の春分の日、9月の秋分の日を中日として前後3日ずつ、計7日間を仏教用語で「お彼岸」といいますが、この行事は日本の4大儀礼である「冠・婚・葬・祭」のうち、どの項目に該当するかご存じでしょうか?
稲が元気に育ち、刈り入れを待つばかりになっていますが、稲作で栄えた「瑞穂の国」日本では、昔から田植えをした稲が天候や虫などに害されないように、神様にお祈りをしてきました。
お彼岸は冠婚葬祭の「祭」で《先祖祭祀》です。
先祖から何か頂けるという信仰を「祖霊信仰」といいますが、先祖と子孫のコミュニケーションは、一定の儀礼を通じて行われます。
これが先祖祭祀で、今では年中行事として捉えられる傾向が強くなっている気がします。
戦前では「家の決まり事」や「先祖の祀り方」などは学校で教えていたようですが、「家制度」が崩壊し、核家族化が進み、さらに単独世帯の増加などでこの「祭」の部分が大きく変化しました。
デジタル化も大きな影響を与えています。
墓や弔いへの考え方がコロナ禍を経て激変したようですね。
さらに、最近では「子に迷惑をかけたくない」と思う親が増えています。
ちなみに祭は「ハレの日」でもあり、農作業で単調になりやすい日常の生活にメリハリをつけたわけです。
普段の日は「ケ゚の日」、祭礼や年中行事を行う日は「ハレの日」として、日常と非日常を区別し、晴れの日は酒を飲み、ご馳走をいただき、晴れ着を着たのでしょう。
ところで「彼岸」という言葉は源氏物語で初めて登場したそうですが、現世に対し「あの世」をさします。
ただ単にあの世というより、仏教の世界である「お浄土」と捉えられていたようです。穢れや煩悩がなく、阿弥陀如来が住む清浄なところと考えられています。
彼岸の行事も時代とともに変わります。
平安時代の頃は浄土の事を思い恩恵を受けようとするだけだったのが、室町時代になって供養の要素が加わり、さらに月日の流れとともにお墓参りをするようになったといわれています。
「秋分の日」は、太陽が真東から昇り真西に沈むので、西の彼方に存在すると考えられていた極楽浄土に一番近くなり、ご先祖さまと最も接近できるので、ご先祖が眠っているお墓にお参りするわけです。
先祖をしのび、冥福を祈るとともに感謝の気持ちをささげ、家族の幸せを願います。
とても大事なことですから、その日は墓参りを最優先し、「ついで参り」にならないように、午前中がいいでしょう。
家族の絆を深めるためにも、できれば家族そろってお参りするのがお勧めです。
ところで春と秋のお彼岸になくてはならないのがお供えの餅です。
ご先祖にお供えするものですから、一番贅沢な食材を使います。
当時としては米や小豆や甘味料で、これらを使用して団子を作るわけですが、自然に真摯な態度で接してきた先人は、季節により団子のネーミングを変えました。
江戸時代中期に編纂された百科辞典「和漢三才図会」に、「牡丹餅および萩の花は、色や形をもって名づける」と書かれています。
春は百花の王様である牡丹の咲く時期ですから「牡丹餅」、秋は秋の七草の一種であり、万葉集で最も多く登場する花の萩が見ごろを迎えるので「お萩」となづけたのでしょう。
また地域によっても様々ないわれがあります。
ただ最近では「牡丹餅」と「お萩」の区別はなく、年中「お萩」という名前で販売されているところも多くあります。
「牡丹餅」も「お萩」も、ご先祖へのお供え物という共通点がありますが、これだけではありません。
春のお彼岸は田植えの準備で多忙な時です。
だから牡丹餅を作って、稲作の豊作を祈願したという説もあります。
これに対し秋は実りの秋、収穫の秋です。
だからお萩は五穀豊穣への感謝の意味もあるようです。
ビジネスマナーではコミュニケーションやおもてなしがありますが、もとはといえば目に見えない神様やご先祖様に対して、誠心誠意心を込めて行ってきた伝統行事です。
お彼岸のお墓参り、盆や正月行事にその由来があるわけです。
大事にしたい伝統文化ですね。