マナーうんちく話453≪冬来りなば春遠からじ≫
山間部では盆が過ぎると、朝夕涼しさが戻ってくるのですが、今年はその気配が感じられません。
畑の夏野菜も猛暑のためほとんどやられました。
暑さに強いモロヘアやオクラが頑張ってくれていますので、後半戦もお願いしたいものです。
ところで「立秋」のこの時期の言葉に「季節の果て」「秋近し」「秋の七草」などがあります。
「果て」は終わるという意味ですから、「夏の果て」とは「夏の終わり」「夏の名残」「夏を惜しむ」という意味で使用されます。
ただ今年は猛暑、炎暑、極暑、大暑、激暑など全ての漢字が該当するくらいの厳しい夏でしたから、例年のように、ようやく夏が終わってくれてホッとした気分には、まだなりませんね。
「秋近し」という似た言葉がありますが、こちらは食欲の秋、文化の秋、スポーツの秋、グルメの秋などへの期待感があります。
今のところ、とても「秋近し」の実感がわきません。
また「秋の七草」は、私が主催している講座で毎年この時期には会場に飾りますが、今年は猛暑のせいで七種全てを揃えるのは難しい気がします。
《秋の野に 咲きたる花を 指折り かき数ふれば 七種の花 萩が花 尾花 葛花 撫子の花 女郎花 また藤袴 朝顔の花》と万葉集で詠まれていますが、当時の人は7種の花が順番に咲いていく姿を、指を数えながら楽しんだのでしょうか・・・。
本当の豊かさとはこのような事だと思います。
ちなみに「春の七草」は食用ですが「秋の七草」は観賞用です。
そして「行き会いの空」も夏から秋へと移り変わる頃の言葉ですが、まだまだ入道雲ばかりで、秋の気配を感じさせてくれる鰯雲や鱗雲はみえません。
この季節に限らず、日本には自然をいつくしむ心に響く言葉が沢山あります。
しかしこの暑さでは、日本語の趣を感じることは難しいでしょう。
ひとえに温暖化のせいですね。
またお正月と同様、お盆を家族や友人と故郷で過ごされた人も多いと思います。
お正月もお盆もご先祖の霊の里帰りですので、似ている点は多々あります。
例えば正月準備をする際、門松に使用する松を山に切りに行くのが「松迎」ですが、お盆には盆棚に備えるほおづき、りんどう、萩、桔梗などを取りに行く「盆花迎え」があります。
松も盆花も、ご先祖の霊が里帰りされる際の依り代になると考えられていたのでしょう。
そしてご馳走を精霊棚にお供えします。
死者と生者の世界はすべて逆ですから、配膳の仕方も逆にします。
例えばご飯やみそ汁の配置が逆になったりするわけですね。
ご先祖の霊は目には見えません。
その目には見えない先祖の霊に、わざわざ盆花を飾ってお迎えし、手間暇かけてご馳走を用意するわけです。
これが日本の「おもてなし」の原点だと考えますが、このような情景も見られなくなりました。
さらに盆には「盆踊り」や「花火大会」や「灯篭流し(精霊流し)」がありますが、灯篭流しは雛祭りの基になった「流し雛」と似ている点もあります。
このような行事は今でも開催されているところが結構ありますが、いずれもイベント性が強く「故人の霊を弔うため」という、本来の意味が薄れてきた気がします。
大人が正しく理解し、次世代にきちんと伝えて頂きたいものです。
猛暑にも負けず田んぼの稲は元気ですくすくと成長し、美しい緑の絨毯になってくれている姿は頼もしい限りです。
ただ例年だと、盆過ぎには田んぼの稲の上を、薄羽黄トンボが飛び交うのですが、今年はトンボの姿が全く見えません。
薄羽黄トンボは、お盆に里帰りされた先祖の霊が、またあの世にもどられるのを見送って飛ぶので、「精霊トンボ」とも呼ばれますが、寂しいですね。
日本は世界が羨む四季の豊かな国であり、折々の季節を彩る自然の移ろいとともに生きてきた国であり、世界屈指の年中行事を有している国でもあります。
それとともに平和な社会を築き、人にも自然にも礼節を尽くしてきた国でもあります。
令和5年も間もなく、猛暑を乗り越え、実りの秋を迎えようとしています。
再び味覚の秋、収穫の秋、芸術の秋、スポーツの秋を迎える幸せを感じながら、先人の気持ちや、四季の国の本来の在り方に思いを馳せてみたいものです。
「のど元過ぎれば熱さ忘れる」といわれますが、今年の異常な猛暑を自然からの警告と真摯にとらえ、地球温暖化防止のための先駆的な対策を心がけていきたいですね。