マナーうんちく話544≪薔薇で攻めるか、それとも恋文か?≫
昔から人々の間で言い習わされてきた言葉で「お里が知れる」があります。
食事中の箸使いが悪い場合や、乱暴な言葉遣いなどをしたときに親から注意された記憶がある人も多いと思います。
知恵や教訓や風刺の意が込められており、悪い意味で使用されることが多いようですが、今では差別用語と捉えられるケースもあるようですね。
ただ私は講演会などで使用することが結構あります。
勿論、特定の地域や個人を指すようなことはしません。
その人のちょっとした言動や振る舞いで、どんな環境で育ったかがわかるという意味ですが、「お里」とは夫の家に嫁いだ妻の実家です。
昔は今のように夫婦二人だけの暮らしは少なく、夫の家に嫁いで、そこの家族と共に生活するのがごく当たり前でした。
当然舅や姑がいるということです。
夫の家に嫁いできた妻の立ち居振る舞いが悪かったり、行儀作法がなっていなかったら、舅や姑から「お里が知れる」といわれるわけです。
「嫁いびり」ではないと思いますが、嫁はもとより、彼女を育てた親までが悪く言われるので、これには険悪寒を抱く人も多いでしょう。
また「親の顔が見たい」ともいわれますが、これはさらに、その人の非常識さにあきれて発せられる言葉です。
「お里が知れる」「親の顔が見たい」「馬脚を現す」「木は実によって知れる」など、言動によってその人の良い・悪いが知れるいい方は結構ありますが、これらは人を不快にする可能性があります。
発する方は注意する必要があります。
一方、発せられた方は険悪寒ばかり抱かず、改める点は素直に改める努力が大切ですね。
ちなみに「氏より育ち」という言葉があります。
家柄や身分より、教育やしつけが大事という意味ですが、全くその通りだと思います。
「いいとこのお坊ちゃん」とか「いいとこのお嬢様」という言い方がありますが、これは実家が裕福であったり、良家の子どもという意味で使用されます。
ただし「いいとこの子」が必ずしも、行動や雰囲気が優雅で、洗練されている人とは限りません。
わがままに育ち、その逆も多々あるでしょう。
家柄、資産などにとらわれるより、「小さい頃から家庭できちんとしたしつけや教育を受けた人の方がいい」ということです。
残念ながら現在は、家庭できちんとしつけを受けた子どもはすくないのではないでしょうか?
多くの講話やセミナーを担当していて痛感します。
子どもにキチンと躾ができる親が少ないからでしょう。
子育てにおいて「しつけ」という概念はとても大切ですが、親にそれが無かったら寂しいですね。
ではどうする?
続きがあります。