マナーうんちく話1895《シニアの起業!成功への心構え⑨「柔軟な対応と労働時間戦略」》
日本では厄年がありますが、実はそれ以上前から「祝い年」という概念がありました。
「十有五にして学を志し、三十にして立つ。」に始まり「五十にして天命を知る。六十にして耳順う・・・」と続く論語の一説は有名ですね。
BC550年頃の思想家孔子が説いた儒教では「長寿」や「敬老思想」が尊ばれ、これがやがて日本にも伝わったわけです。
前回取り上げた「厄年」と同じように、奈良時代から平安時代にかけ40歳から10歳ごとに、50歳、60歳を「長寿」として、貴族の間でお祝いをする風習が存在したようです。
奈良時代になると稲作技術がある程度定着し、安定した食糧確保が可能になり、人口が増え、平均寿命が大きく伸びたことが長寿を祝うようになった大きな原因かもしれませんね。
とはいえ奈良時代頃の日本人の平均寿命は、記録の取り方やそれに関する文献も乏しく推測の域を出ませんが、恐らく20代後半から30代前半とされています。
とにかく乳幼児の死亡率が大変高かったので頷ける数字ですが、そのような時代に40歳まで生きれば、立派な長寿者で、祝う値打ちが十分ありますね。
ただしこの恩恵を被ることができるのは、衣食住に恵まれていた貴族のような特権階級の人たちだけだったと思います。
また貴族階級の人たちの生活は陰陽道により、事細かく決められていたのでしょうか、常に「吉日」や「凶日」を意識することが多かったようです。
今の私たちでさえ、「仏滅」や「大安」は気になります。
それはさておき、当時の貴族階級の人が「祝い年」をどのように祝ったのか?気になるところですが、実は「和歌」を贈って祝っていたとか・・・。
さすがですね。
それから1000年余り経過した今、日本人の平均寿命は世界で一番長くなり、85歳前後になりました。
そればかりか100歳人口も8万人を超え、10万人当たりの百歳人口も世界のトップです。
40歳で長寿といわれた時代の倍以上になったわけです。
長い・長い人類の永遠のテーマは「長寿」ですから、それを世界に先駆けて達成した日本人は大変素晴らしいと思います。
素直に喜び、世界に誇ることだと思います。
では今は長寿をどのようにとらえているか?
一定の年齢になったことを祝う通過儀礼になっていますが、基本的には数え年で祝いますが、満年齢で祝う人も多いようです。
和歌で祝う人は少ないと思いますが、無事に年を重ねたことをまず感謝したいですね。
さらにその喜びを報告することだと思います。
そして親せきや親しい友人から祝福してもらえばいいと思います。
ちなみに祝い年は「還暦61歳」「古希70歳」「喜寿77歳」「傘寿80歳」「米寿88歳」「卒寿90歳」「白寿99歳」「百寿100歳」などがありますが、2002年にできた「禄寿65歳」もあります。
祝い年の風習は中国から伝わったわけですが、以後様々な事情で日本独自の変化を遂げてこの様になりました。
例えば古希は杜甫の「人生70古来まれなり」に由来しますが、喜寿は七を3つ重ねた形で七十七と読めるからです。
傘寿は八と十を重ねた形だからです。
加えて日本では、米は大変貴重で縁起がいいから、「米」の漢字を分解してできる「八十八」を祝い年に加えています。米寿で、末広がりの意味もあります。
「白寿」はめでたい百寿から1を引いたら「白」という字になるのが理由です。
百歳は「紀寿」とも言いますが100年を一世紀と呼ぶからつけられました。
このように日本独特の言葉遊びで喜びの歳を決めているわけですから、昔の人は貧しいながら豊かな生活をしていたのでしょうね。
ちなみに厄年の33歳は「サンザン」に通じ、42歳は「死に通じる」という語呂合わせです。
お祝いの仕方は人生の区切りになる祝いですから、できるだけ残るものがお勧めです。消耗品はお勧めできません。
それぞれテーマカラーもあるようで還暦は赤、古希と喜寿は紫、傘寿・米寿は茶、卒寿・白寿・百寿は白です。
サザエさんが登場した戦後間もない頃は、サザエさんのお父さん磯野波平さんの時代は、定年後はほとんどありません。
今の日本は「人生百年二毛作」の時代です。
還暦、古希、喜寿ごとにいろいろと人生が楽しくなってきます。
確かに長寿社会は超高齢社会であり、年金、介護、医療、経済的課題などが山積していますが、ネガティブにとらえるのではなく、世界に先駆け長寿を達成できたことをみんなで素直に喜びあえる社会になればいいですね。
定年を迎え第一線を退いても、次の別の人生があるということは、実に素晴らしいことだと思います。