マナーうんちく話239≪バラ色の人生とマナー≫
厳しい残暑が盛り返していますが、この時期は懸命に季節が秋を目指しています。
できる限り秋の演出を心がけ、季節に同化し、豊かな感性を磨きたいものですね。
ところでコロナ禍の今、特に手洗いが推奨されていますが、日常生活で手の汚れを水で洗うことは多々あります。
聞きなれない言葉ですが、手を水で洗うことを「手水(てみず・ちょうず)」と言います。
また神社に参拝する際も、手を清めます。
祭式の時にも手を清める「手水の儀」があります。
これらは身の汚れを落とす儀式ですが、「作法」が存在します。
日常生活の中で、神社に参拝したり、神事を行うことは多々ありますので、ぜひ心得ておいてください。
神社やお寺を参拝するとき、手水舎で身を清めることを「手水を取る」といいます。
ちなみに手水舎とは手や口を清める場所です。
日本は四季に恵まれ、豊かな緑と水の恩恵を受けていますが、古来より水は穢れを流すと考えられてきました。
従って神社参拝の際は、近くの川や池の水で体を洗って身を清めていたわけですが、全ての神社仏閣の近くに、川や池や湖があるとは限りません。
だから境内で簡単に身を清められるようにしたのが手水舎で、鎌倉時代頃から登場したといわれています。
人間をはじめ、すべての動物が生きていく上で水は必要不可欠です。
だから水は大変神聖なものとされており、その神聖な水は竜が司るとされていました。
亀や蛇もしかりです。
水道の出口は「蛇口」といわれますが、水場を蛇が守っていたという言い伝えに由来します。
改めて手水舎で身を清める作法に触れておきます。
〇手水舎の前で一礼します。
右手で柄杓を持ち、満杯に水を汲んで、左手を清めます。
神社・仏閣では左上位が基本ですから、右利き、左利きに関わらず、左手から先に清めて下さいね。
〇左手に持ち替え、残りの水で右手を清めます。
〇さらに右手に持ち替え、左手をすぼめ、その中に水を少量注ぎ、口を清めます。
うがいではありませんので、ほんの少量の水で結構です。
すすいだ後、左手で口を覆い、水を静かに吐きます。
またすべての手水舎の水が飲料に適しているとは限りません。
口を清める際、気になるようでしたら、真似事だけいいでしょう。
〇最後に残りの水で、使用した柄杓の柄を清め、元に戻し、礼をして離れます。
終わった後は手で髪などに触れないようして下さい。
「礼に始まり礼に終わる」のが手水の作法です。
始めと終わりに礼をお忘れなく。
「穢れ」は神道の観念の一つです。
私たちは毎日、何気なく生活しているわけですが、実は知らず知らずのうちに心や体の中に悪いものが蓄積しています。
つまり穢れは日常的に、身分や性別や年齢などに関わらず、誰もが自然に身につけるわけですね。
こうなると生きる希望や元気が失せ、いい結果を生みませんし、社会全体にも悪影響を及ぼします。
だから、それを清めなければいけません。
そこで私たちは朝起きたら顔を洗います。
歯も磨くのが毎日の習慣ですが、実はこれらは身と心を清めることを簡略したものと言えるのではないでしょうか。
穢れはいつでも払うことが可能です。
穢れを払う目的の「手水舎」が、新型コロナの影響で閉鎖されているところが多い現状は大変皮肉なことだと思いますが、長年の風習も科学には及びません。
コロナ禍における参拝は、ペットボトルやウエットテイッシュの有効利用もいいかもしれませんね。
いずれにせよ身を清めるという行為は大切にしたいものですね。