マナーうんちく話535≪五風十雨≫
連日の猛暑で「秋なんてとんでもない」と思われますが、季節は確実に秋になろうと一生懸命頑張っています。
8月7日は二十四節気の一つ「立秋」です。
季節が秋になる努力をしていたら、人もこれに合わさなければいけません。
少しずつ季節と同化し、自分なりの秋をみつけるのもおすすめです。
この時期、年長者には懐かしいと思いますが、1955年に発表されたサトウハチロウ作曲の「小さい秋見つけた」があります。
《誰かさんが 誰かさんが 誰かさんがみつけた ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋見つけた・・・・》とうたわれており、表面的には「秋の発見」ですが、実は望郷の詩だそうです。
ボニージャックスという男性のコーラスグループが歌って一世を風靡しましたが、状況が思い浮かびます。
ちいさい秋を見つけたのは、もちろん目で見つけたのでしょうが、他にも耳や皮膚感覚や味覚、そして心でも見つけています。
《マナーうんちく話》でも以前触れましたが、立秋の歌として有名な藤原敏行の《秋来ぬと めにはさやかに 見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる》があります。
平安時代の貴族や家人は、風の音で秋の気配を感じ取る豊かな感性を持っていたのでしょうね・・・。
この歌が詠まれて千年以上経過した今はデジタル全盛になり、比較にならないくらい豊かで便利な時代になりました。しかし、この歌に詠まれているような豊かな感性とはすっかり縁遠くなった気がします。
どうしますか?
せっかく世界の人がうらやむ四季に恵まれた国で生活しているわけですから、寒い冬には寒さに身を縮め、暑い夏にはしっかり汗をかく・・・。
このようにきちんと四季を味わい、四季と同化することが大切と考えます。
こうすることで、日本人としての豊かな感性が培われていくのではないでしょうか。
言葉遣いもそうです。
日本には「初春、仲春、晩春、初夏、仲夏、晩夏、初秋、仲秋、晩秋、初冬、仲冬、晩冬」のような季語があります。
また「初秋の頃、新涼の候、清涼の候」などのような時候の挨拶用語もあります。
季節を味わい、季節と同化することで、それぞれの季節の言葉も真実味が増し、感性が目覚めてきます。
私が住んでいる里では、稲の緑の絨毯の上を、盆前に先祖の霊を背負ってくるといわれる精霊トンボが飛んでいます。
柿や栗の実も存在感が増しています。
自然と共に生き、和の心も思い出し、盆と秋を迎える準備をしたいものです。
地球温暖化のせいで年々風水害が半端ではなくなってきています。
もはや「自然を大切に」という、上から目線は考え方を変えたほうがいいでしょう。
先人が自然に畏敬の念を抱いたように、「自然に生かされている」と謙虚にとらえることではないでしょうか。
日本庭園の水は上から下に自然に流れるようになっています。
人間は自然に勝てないのだから、自然の摂理を素直に受け入れ、自然との調和を説いているのでしょう。
西洋の庭園は噴水にみられるように、人の力で水を上に出しています。
人間が自然を超越しているということでしょう。
日本庭園と西洋の庭園の大きな違いは自然に対する捉え方だと思います。色々な考え方があってしかりでしょうが、自然は人間の思い通りにはいきません。